18 高倉の獅子

 秋空に高く日技神社の「福祉即神徳」「平安在霊威」の幟が立てられ、県道川越越生線沿に約200年前の「鎮守御祭礼高倉村」と書いた幟が風にはためく時、遠く江戸時代から伝わる高倉の獅子がやって来る。

 秋祭り、郷土の2大獅子舞の1つが(1つは戸宮、現坂戸市戸宮となっている)高倉のもので、これは現在古来より引継がれている市内唯一の獅子舞である。舞の奉納には国家安泰、天下泰平、五穀豊饒の願いがこめられている。老樹に囲まれた広い神社境内にはもつ煮やピザ、綿菓子等の露店が立並び、笛や太鼓の音でにざわうこの祭典は、今も変らず近郷近在の人々に親しまれてきている。

 獅子舞の構成は以下の様になっている。(教育委員会配布『高倉の獅子舞』転記)

 万灯、貝吹(ホラ貝を吹く)、天狗、はいおい(軍配をもち案内する)、前ジシ(男ジシ)、中ジシ(女ジシ)、後ジシ(男ジシ)、花笠、歌うたい、時として「ひょっとこ・おかめ」の道化役が加わることがある。

 花笠の役には4人の童子が女装して現われる。頭にかぶる花笠は黒塗りの筒形のもので、まわりに赤いちりめんのような布が巻いてあり四方に垂れている。筒形の上には竹につけた花がささっており、花の中央にはお月様2つ、お日様2つがさしてある。手にはササラを持つ。竹筒に刻んだのこぎり刃に、先を細かく割った同じ竹製のササラをすりつけてならす。このササラは獅子舞と縁の深い楽器なので、獅子舞のことを別名ササラジシともいう。総勢30数人という多人数で、3日間、日枝神社を中心としてお稲荷さんや、おくん様をめぐり歩く。

 シシはただ笛や太鼓で歩きまわるだけではない。要所要所では特別の演技をする。それぞれに物語があり、時には烈しく狂い舞い悪魔をはらう所作をする。「竿ガカリ」などは、まことに稚気愛すべきであるといえよう。

 「女ジシかくし」で舞踊劇は最高潮に達する。3頭のシシが仲よく遊んでいるうちに、4人の花笠が四方からより集まって女ジシをかくしてしまう。狼狽した2頭の男ジシは、花笠の左右四方を狂ったように捜しまわる。そのうち前ジシが女ジシを捜し出し、花笠をくぐって近よりむつまじく舞い踊る。これを見た後ジシは嫉妬をおこし、前ジシと後ジシとの間に女ジシの奪い合いが始まる。そうしてこの争いは繰返し行われるが、争いの最中に、飴を双方に渡す場面が挿入される。飴で和解を計るのは現世のならいである。

 花笠が四方に散った。とうとう和解が成立したのである。たがいに怒りの心を和らげ、心楽しく花にたわむれ仲むつまじく舞い狂う。この間たっぷり1時間かかる。長い舞である。

 「竿がかり。」これも舞いの1つだが、男ジシと女ジシとの葛藤の場面を表現したものであり、女ジシかくしと同一の趣向である。

 以上が高倉の獅子舞である。毎年11月8日・9日・10日であったが、生活対応のため今では11月2日、3日の2日間に改められている。(昭和54年(1979)改正)

 この獅子舞は昔から引継がれた由緒ある伝統行事で、昭和39年(1964)より高倉獅子舞保存会がつくられ若い世代へと継承されている。昭和54年(1979)1月19日には、その保存活動の顕著であることが認められ、県知事より第1回「文化ともしび賞」が授与されている。「文化ともしび賞」は、「地道な文化活動にも光を」という趣旨の下に設定された名誉ある賞である。

 昭和49年(1974)指定無形文化財となった。神社の前には獅子舞に関する解説標示板が建てられ、民俗行事の調査研究者の足をとめている。

   ○幟「鎮守御祭礼 高倉村」