大字町屋の家並の中を、古道が東西に直線状に走っている。この道の東端から直角に南の方向に伸びる道がある。その角に、星霜200年を経た馬頭観世音菩薩が立っている。長い歳月にわたる風雨のため風化した部分もあるが、正面に顔3面と手6本(三面六臂)が確認される。中央の手は合掌し、左右の手には、武器と仏具とが握られている。現在、道路改修のため台座はコンクリートで埋められている。
石碑の高さ 61cm(2尺)
石碑の幅 27cm(9寸)
碑側面 建立文政三年(1820)武刕(ぶしゅう)高麗郡町谷村
反対側面 □□□□中
また、向って右側面に「右はんのう」左側面に「左かわこえ」と刻まれており、道しるべの役割を果たしていたことが窺える。かつて、ここ町屋村を通る旅人のよき相談相手として、風雨に晒されながら長い間道行く人々を見守っていた事であろう。
「右はんのう道」は、浅羽(坂戸市)から下新田を通り中新田子ノ神を経て上新田前から駒寺に出て飯能に向う、飯能街道への合流を示している。
「右かわこえ道」は、南に伸びて上新田の河岸街道に入り、駒寺野新田、森戸新田(日高市)笠幡(川越市)を経て川越に入る道を示している。
馬頭観音から北西方向約100m位のところを古道の鎌倉街道が走っており、町屋の古い家並は、この街道と併行している。この町屋の道しるべ(馬頭観世音菩薩)は、旧街道を知る手がかりとしても貴重なものである。