『郡村誌』脚折村湖沼のところに「雷電池東西十二間南北二十四間半周回一町二十五間、村の東方にあり、田の用水に供す」とあり、『入間郡誌』には、「雷電池カンダチガ池と呼ぶ、旱天に雨を祈る、其の時里民麦殻にて竜体を作り人力を以て池中を遊泳せしめ壮年者池中の竜体に雨ふれたんじゃくと呼ぶを風とせりと言う」と記されている。
雷電池は脚折池の台にある。杉桧の老樹が四囲をめぐらして池をおおい、にぶく水面を光らせていた。遠く江戸時代には、三郡八景の1つとして「かんだち池の過雨」があげられている。このことは、雷電池がいかに歴史と景勝とに勝れていたかを物語るものである。
今は、土地区画整理事業で池周辺の様相は大きく変り、池の水も枯れてきているが、それを取りまく老木は昔日の面影を残している。
池の辺(ほとり)に雷電神社が祀られている。遠い昔から、村人が長い日照りで困った時、雷電様の御加護により雨に恵まれる様に祈った竜蛇の行事をする場所がこの池で、雨乞行事として古くからあり、今に引継がれて来ている。
脚折の雨乞行事は、この地方独特のものとして異彩を放ち、今は国の選択無形民俗文化財、市の指定無形文化財に指定され、社前には雷電池と雨乞いについての解説標示板が立てられ、民俗研究者、愛好者の足をとめている。
また、雷電神社と奉安殿とのかかわりがある。
戦前、鶴ヶ島村には第一小学校敷地の南端、県道川越越生線沿に奉安殿(両陛下の御真影を奉安したところ)が建てられてあった。終戦後連合軍命により、忠魂碑は土中に埋められたが、昭和26年(1951)再建にあたり空になっていた奉安殿を解体しそこに忠魂碑を建てる段取となった。その時大字脚折池の台地区の希望があり、奉安殿の屋根板鋼板が雷電神社の屋根板として生かされたのであった。時代の推移が、奉安殿と雷電神社を奇しくも取りもった出来ごとである。戦前から丁重に護持されてきた奉安殿は、一部とはいえ、鶴ヶ島の歴史的遺産として雷電神社により末永く守られてゆくであろう。