34 江戸街道

 その昔、浅羽村の橋場より下新田村を通り抜けて脚折村北口に通じた街道は、江戸街道と呼ばれ、今も下新田ではこの道は江戸街道の名で語り継がれてきている。この街道沿は奥深い平地林であったが、昭和5年(1930)地元開墾組合の第一期開墾地として開発され、広大な農地造成が出来たのであったが、戦後における地域構造の変化により工場、住宅、店舗の密集する街区となっている。

 江戸街道は、遠い昔殿様が通ったのだと今に伝えられている。

 下新田村に接する浅羽村には、昔浅羽氏の居城浅羽城があった。天正年代、城主が小田原の合戦に出陣し帰らざる人となるや、その姫君が留守を守り続けたのであったが、遂にかなわず姫君は弁天池に身を沈めたのであった。この様な悲話が伝承されている。

 下新田に残る江戸街道は、この浅羽城に関わっているのであろうか。