36 愛宕将軍地蔵

 上新田の家並の下に長福寺跡があり、その右脇、老樹の繁る小高い塚の上に愛宕(あたご)将軍地蔵尊が祀られている。尊像の高さは1尺7寸(51cm)あり、台座正面には、

    元文四未年一月吉日

    奉建立 愛宕将軍地蔵

と刻まれ、台座の左側には、

    武州高麗郡上、中新田精進行者

            小川利兵衛

            石塚作五兵衛

              真円代

            小川惣兵衛

            砂川金助

            板倉喜以右門

            高篠杢左衛門

            高篠長兵衛

      右側

            高篠庄兵衛

            同 喜兵衛

            同 茂兵衛

            同 平兵衛

            小川半兵衛

            高篠市右門

            長谷部三右門

            同  与右門

            清水五左衛門

            高篠庄右門

      裏側

            小川太良左衛門

            小川又五良

            斉藤次良衛門

計21名が上・中新田精進行者として記されている。上新田村・中新田村の人達が造立したものである。今より280余年前のもので、身に甲冑を帯び胸に輪宝をつけている。一般に愛宕将軍地蔵は馬にまたがっているが、ここのは猪にまたがるという数少ないものである。

 戦前まで、大字上新田の子供の天神講には奉納天満天神宮と書いた紙幟を愛宕将軍地蔵の塚にお供えしたと伝えられる。

 また、中新田字愛宕にある地蔵堂前庭に、今より270年前中新田村・上新田村で建立した六地蔵尊がある。

      建立 宝暦九天卯八月□日

      施主 武刕高麗郡中新田村上新田村中

と書かれている。

 上新田の愛宕将軍地蔵・中新田地蔵堂の六地蔵、ともに両村で建てたものである。

 「元和九年高篠隼人の子小六道(中新田)を開き二年後の寛永二年大六道(上新田)を開き庄兵衛新田ととなえ二十五年間之を領す」と古文書(『高篠家伝集』)にある通り、両村のできた当時よりの深い関係を知ることが出きる。


追記

 平成14年(2002)に新田土地区画整理事業により、長福寺本堂は新築され、愛宕将軍地蔵尊は長福寺と向かい合いの南側に移動されました。

 そして地名は新町4丁目と変更されました。