38 高倉山王の雷神様

 高倉字山王にある小川家の屋敷続きの裏山を北に進むと、東西にのびた大きい構堀に突き当たる。昔ながらの姿で樹林の中に幅2間半(4.5m)深さ5尺(1.5m)程の大きさに残るこの構堀は、名主屋敷の名残りであろう。ここを渡り林の中を進むと、1本の大きい杉木立の根本に高さ2尺5寸(75cm)奥行2尺6寸5分(60cm)間口1尺5寸(45cm)の社があり、この中に雷神様が祀られている。

 ひときわ目立つ老杉は、胴廻りが5尺6寸(1m68cm)あり、御神木であるという。面積6反歩(60アール)の樹林は陽をさえざり、永年にわたり積重なった落葉は神域にふさわしく静寂そのものである。

 ここに雷神様が祀られたのは、今から260年前、明和元年(1764)のことである。落雷により家が焼失したので、家の築造と同時に雷神様を祀ったのだと伝えられている。

 旧家であるこの家は、50余年前建替のため旧家屋を取りこわしたのであるが、その際「明和二年三月吉日棟上」と書かれた棟札が見つかった。この棟札は丁重に保存されている。

 雷神様は風邪と耳だれによく効くという。昭和年代の初期までは、社前に酒を入れた竹筒が糸で吊されたり、幼児の笛やガラガラ等が数多く御礼参りとして供えられたりしていたそうである。耳だれには雷神様の水をつけると治ったとのことが、古老の口から語られた。近隣の人達のお参りのほかに、遠く高萩方面から親子連れで尋ねて来てお参りする人もいたとのことである。

 現在では竹筒も御礼参りのおもちゃも見当らないが、空をさえぎる木立の中で、雷神様は静かに世の移り変りを見つめているかの様である。