『郡村誌』には、高倉村飯盛川について、「村の南方字尾金尾加称の井より発し東方字池尻に至り溜井の水を合わせて東南脚折村に入る」と記されている。そして、この川の上流に長さ9尺(2.7m)幅6尺(1.8m)の石造りの橋が架してあると、同誌は伝えている。これが鼠橋で、別の名を念仏橋という。今は道路改修で、石橋の石は大字高倉日枝神社境内に運び移されている。
石は4本あるが、その中の1本には次のような文字が刻まれている。
享保[ ]年二月吉日 施主[ ]
念佛供養橋懸 武州高麗郡高倉村
今から300年前のものである。
鼠橋(念仏橋)を渡ると道はY字路となる。分岐する突当りの小高い場所には、かつて小さな石碑があり、念仏塚と称したそうである。半壊の状態であるが今も塚は残っており、往時を偲ぶことができるけれども、石碑の方は残念ながら最早見ることはできない。
念仏塚に至る手前に掛けられていたのが念仏橋であり、飯盛川の発するところ、尾加根(称)の井戸に身投げした「おかね」の恨が引くので、恨が出ないように念仏供養をしたのだと、人々に語り伝えられている。
高倉にはその昔、日枝神社の前にあった長泉寺に立派な大日堂があり、念仏講がつくられていたといわれている。記録によると大日堂建立は享保7年(1722)であり、念仏供養橋を掛けた年代と一致する。大日様は後に高福寺に移され今に至っている。