47 五味ヶ谷・上広谷の口〆

 悪疫を防ぎ、五味ヶ谷村・上広谷村の平穏無事を祈願する「ふせぎ」の行事は、昔からこの地に伝わり、今に引き継がれ、両村の繁栄に欠かすことのできない行事となっている。

 「五味ヶ谷村・上広谷村は古時一村であったが、慶安元年(1648)に上広谷村から五味ヶ谷が分かれた」と、『郡村誌』に記されている。2つの大字が1つになってこの行事をするのも、然るべき理由があるといえよう。

 毎年3月3日、大字五味ヶ谷の氷川神社跡(氷川神社は現在大字太田ヶ谷の高徳神社に合祀)に祀られている皇太神宮神前において、まず神官によって「ふせぎ」の祈願がなされる。続いて、神官に先導され、獅子頭をかぶった人、御幣を持った人等を含む関係者一同が法螺貝の音とともに五味ヶ谷・上広谷を1戸毎に回るのである。家々へは、台所から入り座敷を通り抜けて縁側から出る習わしがある。祈願された神札は、1戸に1枚ずつ渡される。その際各戸の座敷は、一行が履物のまま通り抜けられるよう、敷物(筵・ござ等)を敷いてあらかじめ準備しておく。

 御幣は、麦殻の芯を作りこれに差して作る。昔から、御幣が落ちたりすると縁起が悪いと伝えられ、御幣持ちには細心の注意が必要であるといわれている。

 一行が来る時は、各家々で身仕度を整えて迎入れ御礼の言葉を言うことも、古くからの形となっている。

 この行程が終了すると、村境(大字境)の道々に、諸々の災厄が入らぬ様に割竹に神札を差して立てる。これを「口〆」と称し、その年の「ふせぎ」行事は終わる。

 なお、獅子頭は、獅子舞用具一式とともに今も上広谷公民館(正音寺並び)に保存されている。(第98編参照)