遠く高萩台地の下を通り抜けた地下水は、蒼林の上新田字谷頭に出て底湿地となっている。ここから出る水の流れは「おかね堀」となり、中新田大山の樹林を経て高倉に入り「おかね井戸」を通って、更に東へ流れ飯盛川となり池尻池に入る。池尻池と三の輪の池の水は合して脚折へ流れてゆく。
池尻池の水は、高倉の田10余町歩(10余ha)を潤してきたのである。
池尻池は、面積6反7畝(67a)あり、水面に浮かぶ島の老杉の根本に池の守り神として古くから諏訪明神が祀られている。池を取り巻く林は、静かな武蔵野の面影を今に残している。
春と秋には、幼稚園児・小学校児童の遠足好適地として、市内外から人々がこの公園に集まってくる。夏は、樹林に涼風を味わう休息の場所となり、日曜祭日には車で訪れ弁当を広げたり釣糸を垂れる者も少くない。
この池の西、三叉路上の小高くなった所に念仏塚がある。また、飯盛川に掛かる鼠橋(念仏橋)は、今から290年前の享保年間、武州高麗郡高倉村中で念仏供養のための石橋として掛けたものである。今は道路改修で日枝神社に移されている。
念仏塚・念仏橋といったように、池尻池からは宗教行事との関わりが推量される。当時の高倉民家から奥深い山林の中へ入っての念仏行事のことが究明できると、意義深いものがあろうが、残念ながら資料に乏しく、古老からも聞くことができない。