50 お墨つき稲荷

 うつ蒼として繁る雑樹、その間よりもれる陽の光にクッキリと立っている朱の鳥居、静まりかえった高倉脇道。この奥に稲荷神社が祀られている。

 むら人は、京の伏見稲荷を勧請したもので「お墨つき」※1稲荷と呼び、正一位稲荷の上の格式だという。だがこれを証する資料はない。

 京都伏見東山丘陵の南端稲荷山に、伏見稲荷大社が祀られ、五穀の御魂の神と導きの神・悪魔祀いの神・家の守り神・善を勧めて悪をこらす神々が祀られており、これらの三神の神徳を仰ぐのが稲荷様の信仰となっている。脇道稲荷は、霊験あらたかと伝えられ、願い事や御礼参りの際には稲荷様のお使いが狐なので好物の油揚を使ったり「おびゃっこ」(白狐・セトモノ製)や小型鉄鳥居(鉄板製)等を供えたりしている。

 明治時代は、社日※2に供えた団子を、近くのオトーカ山(狐の住んでいる林)から親狐が子狐を連れて来て団子を平らげてしまったと土地の古老は語っている。又、民家の勝手口に来て食べ物探しや食いにげをしたということが語り草として残っている。稲荷様のお使いは狐であるという。

 今も就職・進学・縁談等の願いごとで赤い鳥居をくぐる者が各地から来るといわれるが、静かであった脇道は、地域開発の進むにつれ交通量も増加し昔の静けさを奪ってしまった。格式高いといわれる脇道の稲荷様も、世代の移り変わりをじっと見つめている事であろう。


※1:御墨付 武家時代に幕府や大名がその臣下に、又は支配の役人から下々に与えた文書。墨の意と印形の墨色のことをさす。

※2:社日 春分・秋分に近い戊の日。