江戸時代から今に、検見(けんみ)街道の名で土地の人々に親しまれているこの道は、大字中新田の東南方の畑地の中にある道幅6尺(1.8m)の野道である。江戸時代に、上役人が年貢取り立ての為、中新田村の作柄状況を検見して通った道であると伝えられている。
それが字愛宕と字大角豆(ささげ)の字境の道、延長約280mであった。この道沿は、地力が中新田で最下位であるが、麦、甘藷には適している地質である。当時は街道筋の畑は検見街道の畑と呼び、留守居の人も検見街道の畑に行くの一言で行先がうなずけるのである。
鶴ヶ島村の昭和2年(1927)の畑標準賃貸価格表
小字名 等級 金額
中新田字愛宕 72 10円
〃 大角豆 72 10円
〃 東山 74 12円
〃 神明表 76 14円
〃 小六 78 16円
〃 東久保 78 16円
以上の次第で、江戸時代村役人(名主等)が村人の年貢についていかに深い配慮をしたかを伺い知る事が出来る。村人の生きる知恵が、最下位の地力の所を案内しそれによって生活を守ったことは、江戸時代の年貢取立に関して賢明なものであったろう。
今はこの街道突当りに新町小学校が建てられている。
追記
平成14年(2002)に新田土地区画整理事業により、本項目で記載されている検見街道の個所は姿を消しています。