53 善寺丸の里

 高麗川の流れを背後に控え、鶴ヶ島村の大字町屋・大字上新田・大字中新田は、旧大家村の台地大字四日市場・大字森戸・大字萱方の産地とともに、古来より甘柿善寺丸(ぜんじまる)の生産地として世に知られ、色沢風味共に良く、昭和初期まで東京神田市場に出荷されていた。柿は隔年着果(1年交替で実を結ぶ)であるが、この地方では柿を売れば麦肥が買えるとまで言われてきた。

 柿の木の多い家は10本位の大木を持っていた。又品種も、早食用として鶴子・善寺丸を遅食用として霜丸平柿等の甘い品種を干柿用として美濃柿、はちや等を栽培していた。

 柿が実る頃は、生柿仲買人が来て立木1本何円という見立てをし、柿取人夫を使って柿をもぎ取り、それを選別箱詰にして馬力で(後にトラック)東京の市場へ運んだのである。

 農家では成り年の翌春枝折りをなし樹勢を整えるのであるが、柿は省力で収益の多い産物であった。

 昭和10年代に入り、東京市場に大形品種富有、次郎等が出廻る様になると、甘味が勝れていても形状の小形な善寺丸は市場から敬遠され、市場は大形種に占有されてしまった。

 善寺丸の長い歴史はこの時点で終わって、生産農家も仲買人も新しい品種に入っていったのである。

 しかし、現在でも町屋・上新田・中新田には樹令百数十年の柿が散見され、かつての善寺丸の産地としての面影を残している。