大字三ツ木の慈眼寺に残る330余年前の古文書に、
梵字為逆修善根菩提慈眼寺四代之住僧橋掛置也
于時 貞享甲子天八月吉日
武州三ツ木村 願主 覚慶
が残っている。権大僧都覚慶は、元禄15年(1697)10月17日遷化(僧が死ぬこと)している。今から310余年前のことである。
三ツ木字中橋の道端に、1基の石橋供養塔が立っている。堀や野道に、板碑を使い石橋にしたその供養のために立てたものであろう。この供養塔は三ツ木村の石橋20箇所の供養をしたものである。今から200年前に建立された。
塔の高さ 2尺(60cm)
幅 8寸5分(25cm)
正面 「石橋二十箇所供養塔」
向右側面「文政三庚辰三月吉日」
向左側面「高一麗郡三ツ木村中」
三ツ木村は、村の上手に地下水の谷頭があり池となっている。池の下手の田や畑の堀は、流れる水のために橋が必要である。そうした土地の情況が、20箇所の石橋を生んだ理由である。
また、農業基盤整備事業の折、三ツ又新堤の堀と新道の、字内3ヶ所に板碑の石橋がかけられていたという。
農耕や農道の近代化が進められた今、遠い江戸時代の農耕生活のあり方を知る上でも、この石橋供養は極めて意義深いものがある。(第57編参照)