57 念仏供養塔と道しるべ

 大字三ツ木から南へ、大字太田ヶ谷へ通じる字奥仲(中橋)の三叉路に、大きな石塔が立っている。その傍に小さい石橋二十箇所供養塔がある。

 大きい石塔は、今から220余年前の江戸時代に、三ツ木村念仏講中が建てたものである。石塔の正面上には梵字が書かれ、その下に仏像が立っている。頭に宝冠をかぶり、3つの顔が中央と左、右とを向き、中央の手は合掌、右手2本は古代の武器を持ち、左手2本は仏具を持っている。台座の高さ1尺1寸(33cm)石仏の高さ3尺5寸(105cm)幅1尺5寸(45cm)の大きさである。

 向って右碑面には

   高麗郡三ツ木邑講中(邑=村)

   奉読誦普門品三萬三千三百三十三巻

   願主 法印 盛應

と書かれ、向って左碑面には

   寛政八星丙辰如月吉辰(八星は8年、如月は2月、吉辰は吉日)

と記されている。

 三ツ木念仏講中が、3万3千余の経普門品(観音経)を読誦し奉った供養塔である。三ツ木にはこの時代から念仏講があり、その流れをくむ講が180年前の天保11年(1840)から三ツ木の「ふせぎ行事」として今に引継がれている。この供養塔は、三ツ木村時代の風土を知る貴重な存在である。

 尊像の台石には道しるべが書かれている。向って右面には「南江戸」と書かれ、左面には「東川こえ」と記され、古い時代には旅人のよい相談相手となったことであろう。三ツ木に残る唯一の江戸時代の道しるべであると思われる。