60 太田ヶ谷沼

 大字太田ヶ谷字沼上に、東西120間(217m)南北40間(72m)総面積1町1反4畝歩(114a)の沼がある。ここで貯えられた水で、池下の16町5反余(1.65km2)の水田を潤し、また釣人の憩の場所でもあり、実益と娯楽の両面を備えた沼である。

 この沼は、水源を高萩方面に発し、地下水が台地の下を通り抜けて太田ヶ谷沼に入り、貯えられた用水の役割を果してきている。

 江戸時代から明治・大正年代を経て昭和初期までは、上溜井と下溜井と2ヶ所の沼があり、上・下の中間は台地であり、一部宅地の外は雑木林で雑樹が繁茂していた。また、沼の守り神として弁財天が祀られていた。上溜井の水は、台地の南側の水路で下溜井に入り貯えられていたのである。

 昭和5年(1930)11月から昭和6年(1931)4月にかけて、耕地整理組合が5,150金(円)の巨額の経費をかけて中間台地を掘り凌い、上・下の溜井を含む現在の太田ヶ谷の沼が出来たのである。

 そこには、170余年前の弘化年代に沼の守り神として祀られた弁財天があったが、工事の時場所替され、水面9反歩(90a)の大沼が完成されたのである。今は耕地整理記念碑と並んで弁財天は建てられている。


    沼端に建つ弁財天

  高さ  1尺7寸(51cm)

  正面  「大辯財天」

      「弘化二年己八月吉日之建 願主 太田ヶ谷村中」


    耕地整理記念碑

  高さ  4尺6分(1m22cm)

  幅   2尺5寸(75cm)

     「昭和五年十一月起工昭和六年四月竣工耕地整理組合員五十四名の氏名」


 沼畔に桜が植付けられているこの太田ヶ谷沼は、花見の人々や釣り人達の憩の場として、また学童・幼稚園児の行楽の場所として近隣に知られている。


追記

現在、太田ヶ谷沼は鶴ヶ島市運動公園内に所在しています。運動公園は、既存樹木を最大限に活用した樹林地、太田ヶ谷沼を中心とした水辺、メイングラウンドを中心とした運動施設などがあります。