62 大橋の馬頭尊と庚申塔

 大字太田ヶ谷の中央・字新田から笠幡に通じる道を東へ進むと大橋に入る。広大な樹林の中の三叉路に、高さ97cm(3尺2寸)幅41cm(1尺3寸5分)の馬頭観音の石像が、高さ31cm(1尺2寸)幅59cm(1尺9寸5分)の台石の上に建てられている。宝冠をかぶった正面、左・右の3面の顔があり、中央2本の手は合掌し側面4本の手は古代の武器である輪宝・独鈷を持っている。また、あいている所には、次の様な銘文が刻まれている。

  正面  奉新造立馬観頭観世音

  右側  安永五年丙申天九月佛日

  左側  武州高麗郡太田ヶ谷村

       願主 萬福寺 應◎ (◎―深)

          当邑中

          志施八面々

          為現当二世也

 幕末に13ヶ村(後の鶴ヶ島村)で飼っていた馬の頭数は150余頭で、その18%が太田ヶ谷村で飼われていた。太田ヶ谷村は鶴ヶ島で最も多く馬のいた村であった。

 240余年前供養した石像であるが、川鶴団地造成に伴い樹林も道路もすべて造成地の中に溶けこみ周囲の様相は一変してしまった。そのため馬頭観音は、願主満福寺の山門のところに移され、かつて27頭も飼われていた昔を偲びとめどなく流れ行く世を静かに見守っている。

 また新田の道端北側(満福寺大門)に庚申様を祀った庚申塔がある。大きい自然石の台石上の高さ1m16cm(3尺8寸3分)幅58cm(1尺9寸1分)の物である。今から170年前の嘉永2酉年(1849)4月吉辰日建立で、総村中と記され反対側に当山廿一世暁了代の字も見られる。