大字藤金字泉橋の水田約1町歩(1ha)は、地下水が地表に湧出するところで、遠い昔から「まんざいろく」と呼ばれてきた。
この水田は湧水の関係で小切れ田が連続し、田に入ると隣りの田がゆれ、田の畔をゆすると2~3枚先の畔が動くと言われ、田の中で足を抜くと水が出る程湧き水の多く出る田であった。水の中に田が浮いてある状態なので摘田(直播栽培)するにも田の草取りにも股下まで入る程で、田の草は膝を曲げて取るとよいとされていたという。鶴ヶ島の水田は、古来より摘田慣行地帯として水稲直播による米づくりであった。(現在は、地下水の上流が開発された関係で植田に転向している。)
遠く高萩方面から、地下水は台地の下を通り抜けて泉橋の「まんざいろく」に至り、ここが谷頭となり湧水が地表に出ていたのであった。
昭和18年(1943)、鶴ヶ島村の水田が作付不能になった時、この「まんざいろく」だけは番水※で下流の田まで作付られた。この時は水稲葱植栽培を実施した地区もあった程で、摘田の適期をのがし、更に植田の時期も過ぎるという非常な干魃の年だったのである。この年、隣り字の人が「まんざいろく」に水取りに来たという。脚折雨乞行事の際に群馬の板倉雷電様から御水取りをする様に、湧水を取り雨乞(水乞)をする気持はどこも同じであったのだろう。ここの湧水は飲み水にしたものだと、土地の古老は体験を語っている。
「まんざいろく」も、現在は、西方に当る大字三ツ木地区の農業基盤整備事業の時接続地なので床上げして、畑に用途変更している。
※:番水 水を順番に上の田より下の田へと流してどの田にも平等に水がひける様にする。当番をつくり時間で交代昼夜続ける。