70 藤金の花火

 明治の初め頃、藤金には煙(花)(はな)火師が数名おり、打上花火、仕掛花火師として近在の祝いの行事や祭典に自慢の腕前を披露したという。

 明治中葉頃、勝呂(現坂戸市、旧勝呂村)小学校開校祝いに花火打上を他の煙火師と頼まれた時、勝呂村主催者から藤金は最終打上げする様せがまれたと言い伝えられている。それは技術的に勝れた打上花火が先発すると、客が早く帰ってしまうからだとの理由で、最終打上げを最も華やかにするのだと耳打ちされたという。花火作りには独得な秘法があるのだと伝えられている。当時使用した大筒(木製・竹の箍(たが)締め筒)も戦前まで保存されてあったが、寺の火災で焼失しているそうである。

    明治時代の花火打上げ口上(丸十煙火)

 トーザイトーザイ、只今発します煙火玉中玉先長い 首尾よく参りますれば丸に十の字で(打上)ゴザーイ(雷鳴)