76 精進の場

 上広谷字北精進(しょうじん)を流れる大谷川の橋下は、神参りする時身体を清める精進場として語り継がれている場所である。明治時代から大正年代にかけては川の水も澄み、精進場は橋の上から川砂利が良く見えたと言う。また、高倉を流れる飯盛川にかかる橋の下も精進場であると、人々に伝承されている。

 大山参りが盛んであった時代、男子15才になると神奈川県大山阿夫利神社(相模大山大権現)に参拝して一人前になるのだという土地の習わしがあった。上広谷では、大山参りする時精進場で身体を清めてから旅立ちしたのだと言う。また伊勢参りの時も、精進場ですべての邪悪をとり除くため身体を清め道中安全を願ったのだと伝えられる。

 かつては、遠い旅立には親類等から餞別金を受け祝ってもらい、晴着をつくり身も心も新しく改めた。それは一生に1度と言う伊勢参りの願望を無事に果たすための庶民の心構えの現れでもあった。精進場で身も心も清めたのも、神に対する尊敬の現れであり重要な行事であったろう。

 社会構造の変った今は、かつての精進場も雑排水のために流れる水は汚濁され、昔日の面影を失っている。伊勢参り自体、交通機関の驚異的な発達によって、やり方がまったく変ってしまった。

 精進場は、昔の人々の信仰の心構えを知る上で、深い意義をもった場所である。