81 護王権現(くにが池 おしおき場)

 大字上広谷北権現耕地の一角に、大檜の御神木が立っている。この御神木は直経2尺5寸(75cm)丈8尺(24m)の伸びがあり、その頂部から太枝22、3本が競い合って空に向って伸びており、大樹の下には護王権現の社殿がある。うす暗く辺りを包んだ雰囲気はいかにも由緒ありげである。

 この護王権現は、古来より足腰の守護神として信仰され、祈願や報賽にはわらじ、ぞうり、鉄わらじ等が奉納される。土地の古老によると、かつては長さ2尺(60cm)位の大わらじを初めとして、拝殿の柱や格子戸に大小のわらじ、ぞうりが数十足も吊されていたという。現在も、社内に鉄わらじ、拝殿左右の柱にわらじ、ぞうりなどが奉納されている。

 社前右手に「みたらし石」がある。拝む時手を清めたものであろう。正面に「奉献」の2字が大きく記され、右側に「安政六己未歳三月吉祥日」とあり、左側に「氏子中」の字が見られる。今から160年前のものである。

 昭和の初期までは、毎年4月19日の春祭には、御神楽(おかぐら)を奉納したと言う。秋祭は10月19日で、古い時代は18日の宵祭には丁半博打をして楽しんだという事が語り継がれている。戦時中は、出征軍人がこの社前で武運長久を祈願して出発したそうである。

 広い耕地の中、古木に囲まれたこの社も、今は御神木大檜だけとなり、辺りには住宅が建ち並び、護王権現も世の移り変りを見守りつつ、氏子中の幸を願っている事であろう。

 現在の社殿は明治17年(1884)に造営され、その当時の模様が1枚の厚板に記され今に保存されている。

         本村    信徒

   天下泰平   氷川神社  岸田七郎

(表)護王神社   祠□□   岸田長次郎

   国土安全    三芳定  岸田運平

                長峰秀吉

                長峰和十郎

                長峰幸三郎

               棟梁

                本村 滝嶋銀造

                大工 伊藤国造

                   小川長吉

               坂戸村

                左官木藤新次郎

               営繕贍當

                長峰要造

                岩田源造

                長峰半平

               同村

                鳶関根嘉造

  明治十七年      助力人

(裏)十一月十三日     坂戸村 三人木藤新次郎

    造営            二人関根嘉造

              本村  三人滝嶋銀造

                   仝伊藤国造

                   仝小川長吉

                  一人小川文造

 またここから東方に「くにが池」があり、遠い昔昔に女が身投げした池であると言われているが、この場所も今は地形が大きく変容し池を見ることができない。だが「くにが池」の名は今も語り継がれている。

 更に西方の小高い所に1本の松があり、そこを一本松と土地の人は呼んできた。今は地形も変り1本の松も見られないが、一本松の呼び名は現在も残っている。一本松は、江戸時代「おしおき場」だったと言い、その時代刑罰を青竹で百たたきしたのだと伝えられている。この当時、袖の下と言うか金子(きんす)を握らした者は、役人の手加減があり、数の少ない百たたきであったと語り継がれている。後にこの場所は恨が引くと人々に伝えられ、災厄を恐れて土地の持主が転々としたと言う。