古い時代、わらじばき姿で街道筋を旅する者にとって、道しるべは最も頼りになる存在であった。
日光街道と越生から川越に通じる街道の十字路・脚折字才道木に道しるべがあった。道しるべは角形の石柱で、高さ73cm幅23.5cm厚さ15cmあり、東西南北の4面に行く先々が太字で深く刻まれてある。建てたのは180~190年前の文政年代であるが、損耗が甚だしく、何年か不明である。九月の2字は読みとれる。また武刕高麗郡の文字があるが、他は判読至難である。恐らく臑折村であろう。
道しるべ写し
南 | 八王子 | 道 | 文政□歳 |
たかはぎ | 九月□□ | ||
武刕高麗郡□□□ | |||
北 | 日光 | 道 | |
さかと | |||
東 | 江戸 | 道 | |
川こえ | |||
西 | 慈光 | 道 | |
をこせ |
南は高萩を経て八王子、北は坂戸を経て日光とあり、八王子から日光への日光街道をあらわしている。その昔八王子の千人隊が日光東照宮を護るためここを通った事であろう。日光街道には今も老木が点々として残っているが、街道を旅する人の暑さを凌いだことであろう。また、東は川越を経て江戸への道、西は越生、慈光とあり越生を経てその先にある現ときがわ町西平の慈光寺をさすものであろう。この街道筋、共栄地区内旧県道には杉の古木が点々と見られる。江戸への道、慈光寺参りの道として、人々は杉並木の下を行き来したことであろう。
鶴ヶ島市内での道しるべとしては、町屋・上新田・中新田・三ツ木・太田ヶ谷にあるが、いずれも庚申塔の台座か、馬頭観音等の野仏の台座に記されてある兼用のものばかりであり、独立した道しるべは、ここ脚折のもの1つだけである。鶴ヶ島市唯一の貴重な歴史の遺産といえよう。