86 東上線鶴ヶ島駅

 東上線が池袋から川越まで開通したのは大正3年(1914)で、7年後の大正10年(1921)に、川越~名細~鶴ヶ島~坂戸間が開通した。今から100年前のことである。

 汽車が通っても鶴ヶ島村には停車場(駅)がなかった。この当時、汽車は村を素通りするのみであったので、停車場設置は心ある人々の願いであった。

 生産物の搬出・貨物の集散・乗車利用が地域の発展につながる事に着目したのが、地元の豪農である大字上広谷の長峰徳寿、名細村大字天沼の長島長十郎の両氏であった。両氏はともに大地主であるとともに、地元の信頼厚く、しかも機を見るに敏な人でもあった。昭和年代に入り、長峰・長島両氏は停車場設置の運動を近隣に呼びかけると共に、東武鉄道株式会社に強力に交渉して1日も早く実現する様要請した。

 この当時、現在の鶴ヶ島駅周辺は松・杉・檜・雑木の混在した山林で、駅の北側に上広谷17戸がある位の未開発地区であった。駅から西は字長竹まで人家とてない奥深い山林であり、名細村天沼の人家の裏は広大なる山林が連なっていた。

 長峰・長島の両氏は目的達成が1日も早く実現することを期し、土地1,500余坪(0.5ha)を進んで提供し、停車場通り道路も、長峰徳寿外8名で500余坪(16.5a)をもって幅5間(9m)道を工費60円で完成したのであった。この道路に敷く砂利は東武鉄道が貨車で運び、ほとんどが地元有志の協力で停車場設置は実現の運びとなった。

 この時関係町村有志は地域発展のため金530余円を寄贈し、鶴ヶ島村は金300円を建設費の一部として寄附した。その結果、現在の鶴ヶ島駅※1は昭和7年(1932)4月10日に開業となった。

 黒煙を吐く汽車であった東上線も昭和4年(1929)電化され、鶴ヶ島駅にも電車がとまる様になり、村の玄関口となった。その後の鶴ヶ島村名細村の発展の基盤となったのである。

 駅開業※21週間後開業祝いがあり、この時長峰・長島両氏は物・心両面にわたり貢献したので、東武当局、両村当局のほか川越市・坂戸町当局者が出席しての式の中で深く感謝されたのであった。昭和7年(1932)4月17日のことである。

 その後昭和40年(1965)5月2日、川越~鶴ヶ島~坂戸間が複線化され、更に地域発展の原動力となった。鶴ヶ島駅が設置されてから駅附近も徐々に変り、とりわけ昭和30年代に入ってからの発展は目ざましく、今は大きく様相を変えている。


  ※1:鶴ヶ島村の駅(昭和9年(1934)12月16日現在)

     東上線 鶴ヶ島(上広谷)

     越生線 一本松(中新田)12月16日開業

     越生線 大家(上新田)12月16日開業

  ※2:筆者も祝賀に団体長として招待出席。

  ※:停車場設置経過報告、祝辞等関係記録は上広谷長峰要寿氏所蔵の資料による。