88 脚折の地蔵2体

    前方地蔵

 江戸時代から子育地蔵、イボ取り地蔵として村人に親しまれて崇敬されてきた地蔵尊が、脚折字前方に建立されている。その昔、現在地の北東にあったのであるが、区画整理で現在地に移された。この地蔵尊は、八幡山勝福院が願主となり、文政5年(1822)に建てたもので、3段台座(60cmの高さ)の上に立つ高さ1m23cm体幅32.5cmの尊像である。正面に「念佛供養惣村講中、武刕高麗郡脚折村願主勝福院」と記されている。子育地蔵尊として信仰され、脚折村の人達を大きく包んで育てるように村人の苦しみやけがれを代って引き受け、無事成長を見つめてきた事であろう。

 また、ここの線香の灰をイボにつけると治るといわれ、イボ取り地蔵としても村人を助けてきた。地域の世話人が4月4日を縁日と定め、通称「前方地蔵」と呼ばれている。今も地蔵尊には報賽(ほうさい)として赤ずきん、首にはよだれ掛け、肩には色とりどりのたすきが掛けられている。周りには「奉納子育地蔵尊」の幟が数多く吊るされ、依然厚い信仰が続いている様である。

    池之台の地蔵尊

 大字脚折字池之台の道の傍に、今から250年ほど前の明和の時代に建立された地蔵尊が祀られている。江戸時代から昭和15、16年頃までは、池之台から藤金に通じる路傍に建立されていたが、開発のため現地に移されたのであるという。尊体は、右手に武器、左手に仏具を持った高さ76cm幅36cmのものである。正面に「奉造立地蔵大菩薩、武刕高麗郡脚折新田」と記され「施主講中」となっている。ひろく世の人に徳を授け、平穏な生活を願い、また道しるべとして多くの旅人の幸せを見守ってきた事であろう。