中新田字大山の新所沢変電所南東の雑木林の中に、馬頭観音像が建立されている。ここは往時中新田村・上新田村・高倉村の3ヶ村持の山で、斃馬(へいば)を捨てる場所であった。通称「捨て場」と名付けられ、現在に至っている。大正年代の初期伝染病で亡くなった人を焼いたこともあり、それ以後焼場とも言われている。近くにおかね堀があり、ここの水で莚(むしろ)をぬらし、燃える薪の山へぬれ莚を掛けて焼いた話が伝わっている。
馬頭観音像は上部に馬頭、その下に仏の顔3面が並び手は合掌、古代武器、数種の仏具をそれぞれの手に持っている。
馬頭観音像
碑面文字 「于時文政十丁亥二月二十三日
高麗郡 上新田村
中新田村
高倉村」
高さ 75cm 幅 33cm 台座30cm
その昔観音の功徳により、斃馬は成仏したことであろう。今から190余年前のものである。
ここから至近距離東南に、江戸時代中新田村山ノ神の小社があったが、神明社に合祀され、跡地は山林として長い間続いたが後に買収され今はない。
また東方に伝説おかね井戸があり、その上には高倉の池尻に流れこみ飯盛川の原流となるおかね堀がある。現在、堀の大半は変電所用地となっている。