92 藤株稲荷

 その昔、下藤金の字大下に、太さ3尺(91cm)近い大きい藤の幹がからみ合い、空を暗くせんばかりに伸びていたという。その藤の木の下に稲荷神社が祀られてあった。土地の人は藤株稲荷と呼びその神徳を仰いでいた。

 この稲荷様は、腹立ちっぽい稲荷様として知られる反面、霊験あらたかだと伝えられてきた。元は屋敷跡にあったと言われてきているが、どういうわけか腹立ちっぽいので、ある時代に藤金村法昌寺に管理をたのみ、法昌寺持にしてもらった。

 大正5年(1916)頃、ここの稲荷様を法昌寺に運び移した事があった。寺へ移した後は、不思議にも土地の人々に悪い事が続いた。人々は、稲荷様のせいではないかと思う様になり、大正12年(1923)正月に元の場所へ持ち帰った。法昌寺へ持っていった人達が、7年後再び持ち帰ったのであるが、寺へ持ってゆく時は稲荷様が重かったのに、寺から持ち帰る時は大へん軽かったと言う。それは稲荷様が帰りたかったからであろうと今に伝えられている。