『風土記』には上新田村(現大字上新田)山王社について「村の鎮守にて例祭は九月二十九日、村持なり、社地に槻数株あり、其の大なるもの囲一丈九尺許り」と記されている。また『入間神社誌』には「字山王前、林地八畝二十四歩、一村共有地鎮座」と記されている。現在の上新田字会立東104番地鎮座の日枝神社は、かつては上新田村の西方山王前に祀られてあった。
往時、この社で不吉な人身事故があったと言う。事の真偽は遠い時代のことで定かでないが、場所替の理由としてこのことが人々に語り継がれている。明治4年(1871)9月字山王前から字会立東の現在地に遷し祀られたのである。
神殿は総欅づくりで、精巧な彫刻がほどこされ、幅1m70cm、高さ2m40cmあり、神殿としては大型に作られている。
その後明治29年(1896)3月、神社拝殿がつくられている。社殿に保存されてある造築寄附金名簿板に年号が書かれている。
名簿板
幅 20.5cm
長さ 1m87cm
杉板
寄附金 最高金2円より金5銭までの額
上新田 39戸氏名
明治29年(1896)第3月
社殿東側には稲荷社が祀られている。氏子の信仰がいかに厚かったかは、報賽された物が物語っている。ガラス入りの大形絵馬5、鉄鳥居4、白狐大形1小形6が供えられ、大願成就のつるぎ額も奉納され、明治43年(1910)10月吉日の文字も見られる。
神社の鳥居のそばにはいちょうの大木が左右にあり、大正御大典記念植樹であると言う。西のものは胴回り1m98cm、東のものは2m4cmあり、樹勢盛んに見られる。