鶴ヶ島村大塚野新田の地名が消えてから、はや80年の歳月が流れている。
昭和15年(1940)陸軍飛行場設置にあたり、耕地、山林、宅地、家屋から神社、墓地に至るまで大塚野新田のすべての物は飛行場敷地の中に埋没してしまったのである。遠く江戸時代から昭和15年(1940)まで、長い間親しまれてきた地名は消滅したのであった。今は大塚野新田の名は貴重な歴史の遺産となっている。
古い時代、東は戸宮(現坂戸市戸宮)と接し、西は関間新田、片柳新田と境し、そうした関係で戸宮八幡神社には合祀記念の松が植えられ、当時氏子であった大塚野新田の文字も見られる。また、坂戸市関間新田にある240余年前建立の地蔵菩薩と、それから13年後に建てられた馬頭観世音菩薩に、大塚野新田村の字が見られる。
地蔵尊は、鶴ヶ島~坂戸バイパスの高架道路を下った地点信号の左手前(右坂戸市役所)に、馬頭尊は関間新田の共同墓地にあるが、いずれも、地名の消えた現在郷土史上貴重なものである。
(1)地蔵菩薩(判読文字)
高さ 3尺3寸(1m1cm)
文字 「供養佛
願主 当村中
同 片柳新田村中
同 大塚野新田村中
安永九庚子年四月吉日」
(2)馬頭観世音菩薩
高さ 86cm
幅 36cm
三面六ピ馬頭尊
「願主 武州入間郡 片柳新田村
大塚野新田村 講中
関間新田村
寛政五癸丑歳」
大塚野新田の存在は地上から消えたけれども、その地名は永く永く、石に刻まれて続いてゆくであろう。