七 練習、準備

 一〇月中句に氏子総会が開かれ、その年の獅子舞について取り決める。人手がない場合を別として、女はほとんどタッチせず、男が中心になって行う。

 一〇月二五日が初練習の日で、午後七時頃より酒でお清めしてから始める。高校生の若手組と二〇代前半の後見組とが交代で「女獅子隠し」を二時間ほど練習して終わる。練習が終わってからも氏子会の役員は遅くまで打ち合わせを行う。年行事は練習中お茶や菓子などの世話をする。会合や練習は今は日枝神社の社務所で行っている。この社務所が建築された昭和一二年以前は、この場所にあったお堂(旧長泉寺)で練習していた。

 二六日の練習二日目は七時半頃より始まる。獅子の練習では、社務所の中ほど一〇畳分の畳が外されて舞の練習を行い、囃子方は上座の方に陣取って座る。二日目も三時間程度で獅子舞の練習は終わる。

 下座の方ではササラの上に付ける花を製作する。これを「花切り」とか「花染め」という。一〇センチメートル四方の白色の紙を隅丸に切って、周りを赤く染める。もう一方の部屋では草鞋作りが行われている。昔、一度よそから草鞋を買ってきたが強度が弱く、祭礼の期間三日もたなかったので、以後は自分たちで作成するようになった。材料は年行事が全て調達する。畳に使う琉球表を利用すると切れないで三日間もつ。カガリ穴の部分には色布で巻いた藁を使用する。飾りの意味と強度をもたせる為である。獅子役、ハイオイ役それぞれ二組分と天狗様分の計九足を作る。毎年新品を使用し、五人で製作している。昔は獅子役など草鞋を使った人は自分の家に魔除けとして玄関先に吊るしておいた。草鞋は一月に一足しか作れない。

 こうした準備には必ず一軒から一人は出ることになっている。

 二七日は中休みで、二八日は三時間ほど練習を行う。終わってからも舞の不十分なところは先輩の「親」が付きっきりで後輩の指導にあたる。

 二九日の練習四日目は、氏子総出で「花ひがし」を行う。二六日に赤く染めた花を、二~三枚ずつ互い違いにして牡丹のごとく大型の美しい花を作っていく。白い紙をよったものを花の軸として通す。三〇日は休息を取って、三一日に最後の仕上げを行う。


獅子舞の準備

 一一月一日も仕上げをする。また「花つくり」と称して、二九日に製作した花を枝に付ける。あらかじめ細く割った竹を大、中、小と三種類の大きさのものを作る。大と中は、万灯の先に付けたりシバト(舞う場所)に立てるもので、五〇本作る。白色の紙を巻き、青い紙を途中に付け、その隙間に花を両側に刺す。中も五〇本作り、金色の紙を途中に付け、赤色紙を巻いて花を刺す。小は赤色紙を巻いて花を刺したものを一五〇本作る。ササラッ子の被る花笠の先に付けるとともに、氏子一人一人に配るためである。役員には大、中、小の三種類が与えられる。

 この日の氏子会の話し合いで、祭当日の役割が決定される。鳥居のところの幟を立てたり管理する幟番、鳥居や参道に燈籠を設置する燈籠番、食事の支度などをする昼食番(チュウジキバン)などがこの時に決まる。昼食番は女でもよい。燈籠の絵は川越の人に描いてもらう。

 舞の練習の際には、練習用の獅子頭を用いる。若い方の組は「女獅子隠し」だけを行い、後見組は「女獅子隠し」とさらにそれより難しい「竿がかり」も練習する。昔は今よりも先輩から厳しく教えられた。

 笛は曲目が全部で一二曲あり、親笛をはじめとする先輩から教わる。習い初めには秋の畑仕事が終わった後二ケ月くらい教わりに行ったりする。笛は集団で吹くが、肺活量の多い人は太い笛、少ない人は細い笛を使用する。人によって笛の種類が違うため、笛だけは自分で購入する。曲を覚える時は楽譜などないので、トーヒャヒャリコ、トーヒャヒャリコ、トッピヒャヒャリコとその曲の調子で覚える。

 笛の練習は舞と同じく二五日から始める。初めに親笛が吹く。「竿がかり」の時いきなりトーヒャヒャリコに入ると笛が揃わないので、ヒャラヒャラヒャラと前奏が入る。それも親笛が中心となって吹き、その前奏を「ぶっつけ」と称する。