幕末維新と宇部(禁門の変から石炭産業のはじまりまで)

 黒船の来航に端を発した開国から明治維新につながる大きな流れは、日本の国の近世から近代への転換をもたらし、現代につながる民主国家の骨格を作っていきました。
 幕末・維新の時代の宇部の領主であった福原越後・国司信濃は、幕府と長州藩の対立と動乱の中で、禁門の変と呼ばれる戦いに、出兵した長州軍の責任者として京都に派遣され、その後に戦いの責任を取る形で自刃しました。また、福原家の家臣を中心とした宇部の人々も、幕末の騒乱の中で戦いに駆り出され、多くの兵士か命を落としました。
 福原越後の跡を継いで福原家を継いだ福原芳山は、長州藩が討幕へと向かう中で、四境戦争と呼ばれる対幕府との戦いの中で戦闘に参加し、その後イギリスに留学して法律を学びました。
 福原芳山の帰国の後、宇部地域には「石炭」の採掘による新たな産業が起こり、以降宇部地域は石炭産業を中心とした工業都市へと変貌していきました。
 この宇部が変貌していくターニングポイントになった幕末から明治維新の時代の宇部地域とそこに生活する人々について、禁門の変・四境戦争・領主福原氏などを題材にして、振り返ってみたいと思います。

蛤御門 京都市
京都御苑の門のひとつで幕末の禁門の変の舞台となった。


福原越後公木像
宇部市宗隣寺所蔵 幕末宇部の領主


国司信濃公肖像画
個人所蔵 幕末の万倉の青年領主
 

福原芳山公肖像画
宇部宗隣寺所蔵 幕末宇部の領主
 

宇部市渡辺翁記念会館
国重要文化財 昭和12年(1937年)完成