宇部の福原氏と万倉の国司氏

 江戸時代初期までの宇部地域は周防国と長門国の国境にある一寒村でした。江戸時代に宇部・川上・小串の地域の領主となったのは福原(ふくばら)氏でした。福原氏は室町時代のころから毛利家の重臣として長く毛利氏を支えていましたが、関ケ原の戦いの後、毛利本家とともに長門・周防国に移り、寛永2年(1625年)の領地替えにより宇部地域の領主になりました。福原氏は江戸時代を通じて藩の重職を担いながら、領主として、海を埋め立てる干拓事業や常盤池などのため池の築造、現在の真締川にあたる新川の付け替え工事などの灌漑工事により新田開発を推進し、宇部地域を豊かな地域と変貌させていきました。また、常盤池付近で掘り出されはじめた石炭は、明治維新を経て、宇部の主幹産業へと発展していくことになります。
 宇部市の北部、万倉地域の江戸時代の領主は国司(くにし)氏でした。国司氏も福原氏と同じく毛利氏の家臣で、寛永2年の領地替えで万倉に赴任してきました。歴代の国司氏の当主は毛利氏一門の家老格の次席にあたる「寄組(よりぐみ)」と呼ばれる地位でしたが、寄組の中でもたびたび藩の要職に抜擢される家柄で、多くの優秀な人材を輩出して毛利本家を支えてきました。万倉地域には国司氏の数多くの史跡が残されいて、万倉の人々は領主であった国司氏を顕彰しています。

旧福原家萩屋敷門
萩市堀内 山口県指定文化財
 

国司氏旧宅跡
萩市堀内 中学校の塀外に石碑が残る
 

福原城(鈴尾城)跡
安芸高田市吉田町 広島県指定史跡
 

福原氏墓所
安芸高田市吉田町 安芸高田市指定史跡