禁門の変に参加した兵士たち

○阿倍野霊園にある長州藩士の墓
 禁門の変において福原越後軍に属し、敗走して大阪に向かう途中に本隊からはぐれ、淀川を下った48名の兵士がいました。途中桜ノ宮(大阪市都島区)付近で幕府側の兵士に捕らえられ、すべての兵が自決又は惨殺されました。
 48名の遺骸は仮獄舎のあった千日前(大阪市中央区)に埋葬されていましたが、明治維新以降の明治2年(1869年)に地元山口の人々によってその存在が知られ、改葬された後に大阪天王寺の大江神社の一角に埋葬し、浪速招魂社としました。
 その後昭和30年(1955年)に在大阪の山口県有志により阿倍野墓地(大阪市営南霊園)に再改葬され今に至ります。墓所には顕彰碑が建てられ、48名の名前が刻まれた墓碑がそれを取り囲んでいます。
○残念さん
 兵庫県尼崎市の大物(だいもつ)地区に「残念さん」と呼ばれている墓があります。この墓は長州藩士山本文之助の墓で、文之助は禁門の変で戦い帰国の際この地で捕えられ、自決をしました。その時に「残念だ・残念だ」と叫んでいたとの伝承から「残念さん」と呼ばれるようになったとのことです。また、死に際して「口惜しいことを自分の墓に参ればかなえてやろう」と言い残したと伝えられたことから、大阪から数多くの人がこの墓を訪れ、願い参りが流行したとのことです。
阿倍野墓地にある長州兵の墓
大阪市阿倍野区 長州藩兵士48名の墓碑
 
残念さん
兵庫県尼崎市杭瀬