宇部と四境戦争

 四境戦争は幕府という巨大な権力に対して、長州藩が総力をかけて戦った戦争でした。宇部の人々も芸州口と小倉口を中心に動員され、その地で命を落とす者も数多くいました。福原家の跡継ぎとなった鈴尾五郎ノ介(福原芳山)も芸州口で幕府軍と戦い、戦功を挙げ、藩から感状を受け取っています。また、宇部から従軍していた兵士の記録からは当時の戦闘の様子を垣間見ることができます。
 宇部市所蔵の石川家文書に「防長征伐出陣日誌」という文書が残されています。この文書の中に当時の福原家の士族で宇部の半大隊の所属であった石川範之が、駐屯地の吉敷郡江崎から出兵し、芸州口の戦場において約1カ月の間戦闘に参加し、無事に宇部の地に凱旋するまでの記録が残っています。記録の中には「弾丸雨の如く、彼我銃撃」などの戦闘に関する記述も残っており、激しい戦いの様子が見て取れます。この後、石川は小倉方面にも出陣し、占領した小倉藩領の警備についたり、局地的に起こった戦闘などにも参加しています。これらの記録をまとめてみると、福原家の家臣団や足軽兵の多くが禁門の変や四境戦争などの幕末の戦いに参加していることが見て取れます。
 県内の護国神社には四境戦争で命を落とした兵士の招魂墓(しょうこんはか)が残っています。宇部市や宇部市近郊では宇部護国神社・船木護国神社・万倉護国神社・厚狭護国神社などに幕末の戦いで命を散らした兵士が眠っています。

防長征伐出陣日誌
石川家文書(宇部市所蔵) 兵士たちの行軍の記録
 

小倉口激戦地の碑
福岡県北九州市赤坂 赤坂東公園内
 

幕末政状一件
石川家文書(宇部市所蔵)
 

鈴尾五郎芸州口軍忠感状
福原家文書(渡邊翁記念文化協会所蔵)