福原芳山公のイギリス留学

 福原芳山公は慶応2年(1866年)に長崎に赴き、翌年にイギリス・ロンドンに向けて出発しました。芳山公がイギリスに到着したのは1867年7月のことでした。留学の最初のころはケンブリッジで勉学に励んでいた芳山公は1871年にロンドンのリンカーンズ・イン法学院に入学し、バリスター(法廷弁護士)の資格の取得に努めました。近年の研究により芳山公がバリスター資格を獲得し、帰国していたことが明らかになってきています。
 芳山公はイギリスにおいて留学生のまとめ役となり生活の世話から金銭管理まで行っていたようで、その中には木戸孝允の子供や毛利家一族の子息もいました。福原家文書に残る芳山公あての手紙などの資料には当時の外国での生活の中で、苦しいながらも勉学に励む様子がうかがえます。
 また、条約改正交渉に当たる岩倉使節団へ意見書を届けたり、イギリスの政治体系をまとめた資料を作成するなど、まさに日本の将来を見据えた人材が育っていく姿がそこにはありました。

福原芳山学生証
福原家文書(渡邊翁記念文化協会所蔵)
 

リンカーンイン領収書
福原家文書(渡邊翁記念文化協会所蔵)
 

全権大使岩倉閣下に呈する書
福原家文書(渡邊翁記念文化協会所蔵) 岩倉遣欧使節団に対する意見書案
 

英国政体覚書
福原家文書(渡邊翁記念文化協会所蔵) イギリスの政治体制に対する覚書