六 什書(六)

毛利元就書状1

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御状披閲候、(備後)神辺之事去四日夜落去必定候、(山名)理興事被切抜之由候、実説候者自是可申入候、先ゝ当秋之動有間敷候と可然存候、先剋尾崎(毛利隆元)ヨリ之使ニ令申候、早ゝ示給候祝着之至候、恐ゝ謹言
      (天文十八)九月七日          (毛利)元就(花押)
        左近允(福原貞俊)殿 御返事
 
毛利元就・隆元書状

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従防州興禅寺飛脚被差上候、依之申談度儀候、明日早ゝ
             (周防)
御出待申候、さ候て明後日山口へ可申下候、猶此者可申
候、恐ゝ謹言
     七月十六日          隆元(花押)
                    元就(花押)
       左近允殿 進之候
 
毛利元就書状2

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なを/\我等存分之儀共、別人にも申候やと貞俊被申て候や近比くちおしき事にて候、かやうの事少も御もらし候てハ曲有間敷候/\/\
貞俊物かたりの通、およそハ申旨聞候、其上にても一通にても被申候者、いよ/\可然可為祝着候、たゝ/\家之儀、何と/\可行候や、無是非候、只今も申聞之通能ゝ可申分候/\、かしく
    (平佐就之)平  源
 
足利義昭書状

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雖数度染筆、各相談之故不及請之段尤候、然者今度下向
一篇被頼思食、究一身覚悟之間、守主従之旨馳走候様、対輝元加意見者可為喜悦候、委細上野大和守(秀政)・小林民部(家孝)少輔可相達候、猶(真木嶋)昭光可申候也
    (天正四)三月廿一日          (足利義昭)(花押)
     福原出羽守(貞俊)とのへ
   「福原出羽守とのへ」
 
小早川隆景書状

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追ゝ申候、彼是者以口 中申入候
一 何ケ度申候ても舛形(美作)へ兵粮被付候御調儀、諸村ニ兵粮短束之衆と被仰談、勿論御本陣昼夜御注進候て御急専一迄候、此方角人数之催弥仕候、兵粮必定舛形可有着日限御校量候て可蒙仰候
一 祝山(美作)之儀、兵粮可被相揃内、無不慮様種ゝ被仕延候、御才覚可為肝□(心)候、無御緩上にも弥不可有御油断候
一 因州口之儀付而、羽柴(秀吉)依催岡山(宇喜多直家)衆悉打立たる由候、院庄(美作)荒神山へ罷出候哉、楢弾(楢崎元兼)・蔵与(蔵田元貞)被仰談、半納之者敵地ニ被付置、無御油断趣を御聞合可為肝要候、恐ゝ謹言
                左衛門佐
   (天正八)十月十日          隆景(花押)
    (福原)貞俊
    (蔵田元貞)蔵与
    (児玉元良)児三右    御陣所
    (楢崎元兼)楢弾
 
吉川元春書状

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塩屋豊後守事(元真)、祝山在番辛労候、殊専之儀、彼者為一分相抱人数等五六十ニてしかと相詰候、兵粮等之儀、只今迄ハ自我等雖申付候、此表方角短束ニ付而闕如之儀候間祝山為兵粮自吉田(毛利輝元)被遣候以銀子之内、彼者人数あてに御勘渡候様旁御気遣憑申候、猶委細塩 豊使之者可申候、恐ゝ謹言
                    駿河守
     (天正八)十月十四日        (吉川)元春(花押)
     (福原)貞俊
     (児玉元良)児三右    御陣所
     (楢崎元兼)楢弾