八 什書(八)

毛利輝元書状4
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対御方従前ゝ大躰之所者少も不存忘却候、弥此度心中あらハし候上不及申候、以来不審之事候者尋可申候、又可承候、如此互ニ申談からハ神も照覧候へ、為有間敷候、恐ゝ謹言
     (慶長六カ)十一月吉日            (毛利輝元)宗瑞(花押)
「          福越(福原広俊)参            宗瑞」
 
毛利輝元書状5

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「(福原広俊)福越参              幻(毛利輝元)」
重而御出時以面可申候、かしく
一 ゝ御返披見候
一 御方内意之所ハ前ゝより存すめ候、殊上方之衆一筋之趣を被存候而より、尚以心安存候キ、一乱之時大坂罷居者ハ不及申、先年之衆悉以種ゝ申て候へとも、無承引仕とをし候而互本望候、井伯(井原元歳)・林(就長)つれ衆広嶋(安芸)へ下候へ、是非高野罷越候へなとゝ頻に申候つ、こらへぬき相続候
一 御方我等半、此中之分にても大躰互ニ無忘却上ハ、不苦候へとも、少もくもり候へハ、物こと調之さハりニ成事候条、不残申あらハし候、此後ハむねにいさゝかため申間敷候、勿論速ニ可承候、此上少もとゝこほり候へハ、只今申さす候こそうへにて候、我ゝハ一めんもく此儀定候
一 此まへかた之こと、善も悪ももくさんまて候、不入候御方之儀、各ほうひ申候間、尚以御たしなミ先祖の御届、又一身之名を被残儀候、不及申候、我等なとハ此成下之上、たしなミ所へハ不行候へとも、不慮ニ不合様候而秀就(毛利)に仕渡、する/\と隙明候へハ今生之本望不過之候、今一両年之間事候、老後専一候とまへ/\人/\申候を、よそことニ存行当候、無事ニ調候へハ大悦まて候、此願望候、万喜ゝ、重畳可申承候/\、恐ゝ謹言
    十一月廿九日          (毛利輝元)元(花押)
      福越参
 
毛利輝元書状6

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「福越参           右」
先日於爰元可相談存候つれ共、気分いかにも難計候、其上上洛急ニ候間無其儀候
一 吾等事内ゝ病者付而、公儀罷出候事一入相成候故、御方存知之様ニ、上州(本多正純)なとへも折ゝ此段をも被相心得候て給候へと申候、更以自由にて無之候、其段不及申候、就其今度も罷上ニ及之由、自上州被入念両度被申越候、忝儀候
一 駿府御わたま(渡座)しにて候へ共、終不罷出候事
一 長門守(毛利秀就)縁辺なと如此被仰付候段、家ノ案堵不過之候処我等もうちニも不罷下儀、背本意外実迷惑候事
一 拾万石無役ニ被仰付候、抽自余に忝候事
一 先度承候様、自然長門暫時御暇をも被下候へ者、生ゝ世ゝ忝儀候、其外有間敷御懇意之段、中/\申も疎之儀候、病者と申候ても、ふ(臥)せり居候ほとの事ニても無之候に、其後一度も不罷下候間、万忝と心中ニ千万存候而も、不罷下候へ者上様(徳川秀忠)之御事者御慈悲にて御分別もあるへく候、諸傍輩者沙汰之限と可被存候、左候時者我等身上之事ハ第二候、長門為いかゝ迷惑候条、縦ハ煩候而宿まて成とも一度罷下候而、近年忝所をも申上度と存候つる、然者当年之御役目無之候、我等気分も如斯候間、路次にて煩候共、其所まて罷越、如此之通御取次まて申、従中途罷帰候へハ、長門守ニ御懇之忝之所も真実と各も被存、又以来弥奉憑申所も聞之候さ候へハ老後存残所も無之候、相草臥候間、可相届○(所)一円不存候ヘ共、存通ハ如此候、先御方へ内談候、同意之被存事候者気分次第ニ可存立候、誠身なから気相難計候へとも右通候、此分候時ハ上州なとへ申儀ニてハ無之候間、御さた勿論有間敷候、御方下候上可申談候へとも、左候へハ相延候間、以書中申儀候、造作之所ハいつとて同前候、当年ハ御役目之透にても候、縦他借を以成共、一世之前後之調候間、相調申度候、御方被思召所具可承候/\、万喜期面上候、恐ゝ謹言
   (慶長十六カ)卯月十日          (毛利輝元)右(花押)
    福越参
 
毛利輝元書状7

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書中被差上せ候者かりにて可調候哉、一剋も急申度候、さて/\か様之儀、少も返弁に調候事忝きとく之調と存事候、不及申候/\、江戸河内所(益田景祥)へ自御方懇に可被申遣候
旧冬従上様(徳川秀忠)銀子百貫め長門(毛利秀就)に被遣之由候、然者高須(元与)ニ被預ケ置之由尤之儀候、此銀子ハ惣別者不遣候而、たしなミ候て可然、千万存事候へ共、江戸之借銀二百八十貫目之由候、少成とも早ゝ返弁肝心之調候間、此銀子一剋も頓江戸江遣候而可然と存候、長門ニも申て候、とかく申様ニと申儀候、是ハ取分長門為候間、急差下可然候間、其通従御方○(ふしミへ)可被申遣候、先日御方も其御分別ニ候つる者たと御急専一候、為此申候、為御心得候、恐ゝ謹言
    三月八日           元(毛利輝元)(花押)
      福越(福原広俊)参