毛利輝元書状13
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呉ゝ此通いつれへも申聞候へく候、事繁候間書中ハ不成候猶期吉事候
爰許去十六日京着候、則御年寄衆よりも御使給候
一 十九日ニ高力左近(忠房)殿為御上使被下候、気相をおさへ罷上候段、御祝着之由御懇之御意ニ候、相草臥可申候間ゆるりと御目見へ可申之由、大炊(土井利勝)殿御内儀にて昨日廿五日御城罷出候、先大炊殿迄罷上、色ゝ結構なる御振舞共ニ候、左候而御城罷上候、玄関迄乗物にて可罷上之由御意ニ候て、歴ゝ御年寄衆玄関ニ御待候之間参候さて神尾刑部(守世)殿・柳生又右(宗矩)殿其外道三(曲直瀬正紹)之事不及申、皆ゝ手を御引候て、御前へ罷出候時者上野(本多正純)殿を御引候大炊殿両人之御取持非大形候、冥加おそろしく候との由事候
一 上様御意にハ、者る/\罷上候、気分被聞召たるよりも悪候条、弥養生肝要之由、殊外被入御念御意候、まへ/\之儀共、ゆる/\と御物語有度候へ共、結句気共つまり相草臥候する間、無御意之由色ゝ御懇之儀ニ候、御前にて上野殿・大炊殿、我ゝ存所を被心得候て無残所上野殿被申上候、大炊殿之儀者不及申、上野殿今度程入魂之儀有間敷と申事候、大炊殿へ彼是物語申度との申事ニて候、昨日者余互ニ無隙候之間不成候、何も透次第ニ一両日之中ニ、又此条計ニ大炊殿へ可罷越と存候、其儀調候者定而御暇可被下候間、則可罷下
一 諸大名衆御暇被下候するとの儀とハ申候へ共、于今無御意候、長門(毛利秀就)事定而可為其分候へ共、万長門・我ゝ間之調、爰許にてハ不成候、いつれも其許へ長門も可罷下候、可有其御心得候
一 来年之御普請江戸・大坂にて候、定而方角にて候間、大坂之御普請仕事にて可有之哉と藤堂和泉(高虎)内証ニ候、然共于今しかとの事者不相聞候
一 我ゝ気分ハ能候、草臥ハ不及申候、道三之薬を用申候相応之様ニ覚へ候之間、弥申談之候
一 其表皆ゝ気分ともよく候哉、此たん存る事ニ候
一 爰許我ゝハ人に対面ことハりを申、長門(毛利秀就)・甲州(手利秀元)之あいしらい被申候へ共、何かと心遣候之間、多分同事ニて然、草臥申候
一 御方気分如何候哉、不可有油断候、次ニ爰許之ものニ候之間、両種進之候、何も罷下、万喜重畳可申候、かしく
(元和五)八月廿六日 (毛利輝元)(黒印)
福越後
毛利輝元・秀就書状 知行替の事
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今度日向守知行替之事頻ニ申候、江戸参上抧候て堅申付而不能兎角、替可遣之由申聞候、然者御方知行之内富海(周防)之事をも申候、千万相理度儀ニ候へ共、何かと申候へ者公儀者つれ申候故任申辻候、委細此仁任口上候条不能詳候、かしく
(元和七)十二月三日 秀就(花押)
宗瑞(黒印)
福越後