※画像補正中です。補正後の画像を確認する場合はしばらくしてからページを再読込してください。
神居古潭①(神居大橋付近)
神居古潭②(神居大橋付近)
神居古潭③(夢殿観音付近)
神居古潭④(岩見大橋付近)
神居古潭⑤(ニッネカムイ覆道付近)
嵐山付近
神居古潭①(神居大橋付近)
神居岩(クッネシリ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
石狩川の急流を見下ろす、英雄神サマイクルの砦といわれる高さ233メートルの巨大な岩
サマイクルがその頂に住んでいたとされています。
※小さな沢もある登山道を登り、巨岩の下まで行くことができます。
神居大橋
SL展示
九条武子 歌碑
大正期を代表する女性歌人
旧神居古潭駅舎
神居古潭駅は明治34年に開業
木造駅舎は函館本線納内~伊納間のトンネル化に伴って
昭和44年に廃駅となるまで利用されていました
平成元年に復元
現在はサイクリングロードの休憩所として活用されています
やつめうなぎとり岩
明治初期に多くのやつめうなぎをとった所
※近くで見ることはできません。
神居古潭竪穴住居遺跡
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
9世紀後半から12世紀頃にかけての擦文時代の集落跡で北海道の指定文化財
石狩川沿いに219基もの竪穴住居跡の窪みが密集しており交易のために盛んにサケの捕獲が行われていたことがうかがえます
ストーンサークル
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
石が環状に並べられた遺跡で
縄文時代のものと言われています
※山道を登って行くことができますが
付近に横断歩道がなく、注意が必要です
旭川市街方面
札幌方面
旭川市街方面
札幌方面
やつめうなぎとり岩
神居大橋
旭川市街方面
札幌方面
神居古潭おう穴群 魔神の足跡(ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
「おう穴」は急流で渦に巻き込まれた小石が
長い年月をかけて岩を円筒状に削ることで作られる地形で
神居古潭では1.2キロに渡って多数が分布し
大きなものは直径1メートルを超えています
アイヌの人々は、この大きな穴を
魔神ニッネカムイの足跡と捉えて伝承を残しました
刀痕(ニムシケシ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
英雄神サマイクルが魔神ニッネカムイに斬りかかった際に
振り下ろした刀の痕が岩に残ったものと伝えられています
魔神の足跡(おう穴)周辺に
無数に線状の溝が刻まれています
旭川市街方面
札幌方面
簗柵(テシ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
上川アイヌを滅ぼそうとする魔神ニッネカムイが
石狩川の上流に暮らすアイヌの人たちを困らせようと
川の流れをせきとめるために投げ入れた大きな岩と
伝えられています
魔神の胴体(ニッネカムイ・ネトパケ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
英雄神サマイクルの刀により「魔神の頭」と切り離され
石狩川をはさんだ対岸に鎮座する
魔神ニッネカムイの胴体と伝えられる巨岩
現在は、国道12号のニッネカムイ覆道が通っており
走行中にその偉容を確認できます
魔神の頭(ニッネカムイ・サパ)
(上記画像をクリックすると映像が再生されます)
英雄神サマイクルと激しい戦いの末
最後は刀で首を切られ退治された
魔神ニッネカムイの頭と伝えられています
石狩川右岸にある高さ3メートルの岩で
魔神が口を大きく開けて
断末魔の叫びをあげているように見えます
旭川市街方面
札幌方面
近文駅
忠和公園
旭西橋
旭川大橋
旭川市街
札幌方面
チカプニ
石狩川を丸木舟で往来したアイヌの人々は
この岩の下で被り物を取り、衣服を正して
畏敬の念を込めて拝みながら通過したといわれています
チカプニとは「鳥・いつもいる・所」という意味で
鹿も掴んで飛べるような大きな鳥がいたと伝えられています
嵐山(チノミシリ)
嵐山は「チ・ノミ・シリ(我ら・祈る・山)」と呼ばれ
神々と人間とを繋ぐ聖地として
霊魂を天国へ送り返した動物の頭蓋骨や
愛着のあった器物に宿る神を送った後
それらを最終的に収める場所でした
アイヌ文化の森・伝承のコタン
チセ3棟や食料庫、祭壇などにより
アイヌの集落(コタン)の様子を再現した野外博物館で
旭川市博物館の分館となっています
嵐山公園センター内では
アイヌの風俗や文化を伝える常設展示を行っています
クーチンコロ顕彰碑
明治初期、石狩川上流域に暮らしていた上川アイヌが
石狩への集団移住を命ぜられた際に
アイヌを代表して異議を唱え
上川地方での生活を守ったのが首長のクーチンコロでした
上川アイヌの精神的支柱として祀られています
松井梅太郎顕彰碑
狩りの名手であった松井梅太郎は
大正末~昭和初期頃に木彫り熊を作りはじめ
その生き生きとした様子から
アイヌの若者へ大きな影響を与えました
やがて近文周辺で盛んに作られるようになった木彫り熊は
北海道旅行の土産物として人気を博すようになりました
近文山国見の碑
明治18年8月27日に、後の北海道初代長官岩村通俊と
屯田兵本部長永山武四郎らが石狩川奥地調査に来て
近文山頂から未開の上川平野を国見し
上川開拓を決意したのを記念して
明治19年に岩村氏が国見の碑を建立させたものです
嵐山からの眺望
立岩・人喰い刀岩
この付近にはかつて底なし沼が広がっており
アイヌの村長が人喰い刀を沼に投げ込んで処分した
という伝説が伝わっています
立岩は8メートルに及ぶ縦長の赤い大岩で
沼に捨てられた刀が岩になったものだと
言い伝えられています
水神龍王神社
付近に広がっていた湿地帯を埋め立てた際
アイヌの村長が沼に投げ入れたという刀が
発見されたといわれています
その刀は現在、水の神を祀る神社の御神体として
納められています