飛燕
三式戦闘機「飛燕」1型の生産が開始された頃、陸軍は性能向上機(キ-61-II)の設計試作を川崎航空機に指示した。川崎は1型同様に土井武夫技師(堀越二郎の東京帝国大学同期生)に設計主務をあて、昭和17年9月に設計。昭和18年8月に試作一号機を完成した。改造点は発動機をハ-140に換装。主翼面積を22㎡に増積。水平・垂直尾翼を改修や各部補強し、当時最高速の最大速度560km/hを目指した。空襲の中、昭和20年8月までに375機の機体が完成したが、エンジンの不良や生産が間に合わず、そのうち275機はハ-112空冷エンジンを装着して五式戦闘機(キ-100)に改造された。
この機体は陸軍航空審査部の所属機で終戦後、福生飛行場で米軍に接収された。その後、1953年に返還。(一財)日本航空協会に譲渡され、2015年から川崎重工業岐阜工場で復元が行われた。