白下糖(しろしたとう)をつくる
明治10(1877)年に東京で開催された第一回内国博覧会に波有手(ぼうで)村(阪南市鳥取)の木村簡一氏が砂糖を出品しています。その時に書かれた「明治十年内国博覧解説」の中の「[製造・貯蓄]」の項目に、「絞リ汁ヲ窯ニ煎、白シタハアクトリ再ヒ煎リシ、トウロウニ入冷シ樽ニ移ス」とあり、甘蔗(かんしょ)のしぼり汁の灰汁(あく)を丁寧に取り除きながらよく煮詰め、冷まして白下糖をつくりました。一方、灰汁を取らずにただ煮詰めただけで土器に移し冷ましたものが黒砂糖であるとも書かれており、白下糖は樽詰めにし、黒砂糖は丸く固めて出荷しました。白下糖や黒砂糖は大阪へ売りはらい、大阪から東京へ廻ったようです。黒砂糖は菓子屋・餅屋へ、白下糖は菓子屋・漬物屋へ、また、しぼって白砂糖にしたとのことです。