八千代の旧石器時代

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 八千代市内、特に萱田地区のゆりのき台の開発に伴い、多くの遺跡が発見され、貴重な成果が得られています。
 萱田遺跡群は、萱田、大和田新田の、新川の西側台地上の権現後(ごんげんうしろ)、ヲサル山、北海道、坊山(ぼうやま)、井戸向(いどむかい)、白幡前(しらはたまえ)の6遺跡の総称です。
 昭和52年度~平成3年度までの15年間発掘調査が行われ、約100haの調査面積に対し、旧石器時代に限定すれば遺物集中地点(ブロック)241か所、炉跡1か所、遺物15,072点、八千代の旧石器時代2万年間間断なく人々が暮らしていた痕跡が確認されています。
 権現後遺跡では、24のブロックと、4,518点の石器類が確認されています。
 また、坊山遺跡では、Ⅲ層~Ⅹ層までの各土層中から石器などが出土し、51のブロックと約4,500点の石器などが出土し、直径約20mの範囲内に、石器などが集中している場所が環状に分布している状態も確認されています。
 ほかに、北海道遺跡やヲサル山遺跡でも、旧石器時代の貴重な成果が多数得られています。
 その中で、権現後・坊山遺跡から局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)と呼ばれる刃の部分を中心に磨いている石斧が出土しています。磨製石斧は、縄文時代では多くの時期に日常的な道具として見られますが、局部磨製石斧は、我が国では最古の“磨製”石器で、旧石器時代の房総では、約2万8千年前後の時期だけに見られる古い段階の石器で、八千代緑が丘駅近くの芝山遺跡からも出土し、完全な形のものは市内から7点出土しています。なぜこの時期だけに、縄文時代では木の伐採などに使用されたとされる石斧が見られるのか、注目されることです。

萱田遺跡群各層出土の石器群


市内出土の局部磨製石斧