千葉市加曽利貝塚(かそりかいづか)は、縄文時代としてはわが国4番目の特別史跡とった貴重な遺跡です。
全国には、2,410か所の縄文時代の貝塚が文化庁の調査により知られていますが、そのうち、関東地方には1,595か所、千葉県には全国の4分の1以上の644か所です。貝塚からは縄文人の骨が発見され体格や埋葬の方法を知ることができ、また、食料となった貝をはじめ魚や動物などの骨・角・歯などを出土することから、縄文文化を明らかにする貴重な遺跡として考えられています。このことから、貝塚が数多くある千葉県は、縄文時代の研究に明治時代から重要な役割を果たしてきました。
八千代市内には10か所の貝塚が所在しますが、佐山貝塚(さやまかいづか)、神野貝塚(かのかいづか)は、特に縄文文化を物語る重要な資料を豊富に持ち、良好に保存されている貝塚として知られています。
神野貝塚測量図
神野貝塚の現況(白い部分は貝の散布)
神野貝塚は、新川を北に望む標高約20mの台地上に立地し、縄文時代の中期から後期の土器片や貝殻が、径約140mの範囲に約15か所散布しているのが確認されています。このような貝塚は点列状貝塚(てんれつじょうかいづか)と呼ばれています。
佐山貝塚測量図
佐山貝塚出土の遺物 (1・2後期後半の深鉢、3異形台付土器脚部、4山形土偶頭部、5石鏃、6磨石) (千葉県「千葉県の歴史 資料編 考古1」から転載)
また、神野貝塚はこれまで発掘調査が行われていないことから、詳細は不明である一方、縄文時代の状態を今日に伝える貴重な貝塚です。
また、佐山貝塚は、神崎川(かんざきがわ)を望む標高約20mの台地上に立地しています。貝層の分布は、東西約140m、南北約200m、北西方向に開口した変形の弧状、ないしは馬蹄形(ばていけい)を基調とした形に見られ、昭和49年に一部の発掘調査が行われただけですが、縄文後期後葉を中心とした土器や、石斧等日用品、土偶(どぐう)・石剣(せきけん)等の祈りの道具、動物の骨やシカの角で作られたモリ・ヤス類が発見されています。また、汽水性(きすいせい)のヤマトシジミを主体とし、ハマグリ・マテガイ・ツノガイ・オキアサリなど、淡水(たんすい)・鹹水性(かんすいせい)の貝類、スズキ・クロダイ・ボラ・コチ等の魚類、イノシシ・シカ・タヌキ・サル等の獣骨が出土し、当時の食料の一部を知ることができます。
全国には、2,410か所の縄文時代の貝塚が文化庁の調査により知られていますが、そのうち、関東地方には1,595か所、千葉県には全国の4分の1以上の644か所です。貝塚からは縄文人の骨が発見され体格や埋葬の方法を知ることができ、また、食料となった貝をはじめ魚や動物などの骨・角・歯などを出土することから、縄文文化を明らかにする貴重な遺跡として考えられています。このことから、貝塚が数多くある千葉県は、縄文時代の研究に明治時代から重要な役割を果たしてきました。
八千代市内には10か所の貝塚が所在しますが、佐山貝塚(さやまかいづか)、神野貝塚(かのかいづか)は、特に縄文文化を物語る重要な資料を豊富に持ち、良好に保存されている貝塚として知られています。
八千代市内の縄文時代貝塚 |
No. | 遺跡名 | 地区 | 時期 | 貝層種類 | 主な貝類 |
1 | 浅間内遺跡 | 村上 | 縄文時代? | 点列状 | ハマグリ |
2 | 神野貝塚 | 神野 | 中期~後・晩期 | 点列状 | ヤマトシジミ・ハマグリ・オキアサリ・オキシジミ |
3 | ヲイノ作南遺跡 | 大和田新田 | 前期 | 点列状 | マガキ・ハマグリ・サルボウ・ウミニナ |
4 | 大和田新田芝山遺跡 | 大和田新田 | 早期 | 点列状 | ハイガイ・オキシジミ・シジミ・シオフキ |
5 | 佐山貝塚 | 佐山 | 後期~晩期 | 環状(馬蹄形) | ヤマトシジミ・ハマグリ・マテガイ・ツノガイ・オキアサリ |
6 | 田原窪遺跡 | 佐山 | 後期 | 点列状 | ヤマトシジミ・ハマグリ |
7 | 間見穴遺跡 | 島田台 | 早期 | 点列状 | アサリ・マガキ・オキシジミ・ハイガイ |
8 | 上谷遺跡 | 保品 | 早期 | 点列状 | オキシジミ・ハイガイ・マガキ・アサリ・ハマグリ |
9 | 下高野新山遺跡 | 下高野 | 早期 | 点列状 | ハイガイ |
神野貝塚測量図
神野貝塚の現況(白い部分は貝の散布)
神野貝塚は、新川を北に望む標高約20mの台地上に立地し、縄文時代の中期から後期の土器片や貝殻が、径約140mの範囲に約15か所散布しているのが確認されています。このような貝塚は点列状貝塚(てんれつじょうかいづか)と呼ばれています。
佐山貝塚測量図
佐山貝塚出土の遺物 (1・2後期後半の深鉢、3異形台付土器脚部、4山形土偶頭部、5石鏃、6磨石) (千葉県「千葉県の歴史 資料編 考古1」から転載)
また、神野貝塚はこれまで発掘調査が行われていないことから、詳細は不明である一方、縄文時代の状態を今日に伝える貴重な貝塚です。
また、佐山貝塚は、神崎川(かんざきがわ)を望む標高約20mの台地上に立地しています。貝層の分布は、東西約140m、南北約200m、北西方向に開口した変形の弧状、ないしは馬蹄形(ばていけい)を基調とした形に見られ、昭和49年に一部の発掘調査が行われただけですが、縄文後期後葉を中心とした土器や、石斧等日用品、土偶(どぐう)・石剣(せきけん)等の祈りの道具、動物の骨やシカの角で作られたモリ・ヤス類が発見されています。また、汽水性(きすいせい)のヤマトシジミを主体とし、ハマグリ・マテガイ・ツノガイ・オキアサリなど、淡水(たんすい)・鹹水性(かんすいせい)の貝類、スズキ・クロダイ・ボラ・コチ等の魚類、イノシシ・シカ・タヌキ・サル等の獣骨が出土し、当時の食料の一部を知ることができます。