縄文時代中期初頭の千葉県北部

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 縄文時代の約1万年間、特に東日本の各地には、「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」、「火焔(かえん)土器」、「中部山岳地帯の豪壮な土器群」、「千葉市加曽利貝塚を筆頭とする大規模貝塚の形成」など、縄文時代の“繁栄”を物語る言葉は尽きません。
 しかし、縄文時代をとおして見ると、房総にも短期間であれ、人々の生活を見ることができない時期・地域がたびたび訪れます。
 今から約5千年前~4千年前の1千年間は、縄文時代の時期区分では“中期”に属しており、東日本の縄文時代で最もムラが大規模化し、縄文文化が著しく活発化した時期と言えます。
 しかし、その前夜、縄文時代前期末~中期初頭(約5千年前)には、房総では人々の住居などのくらしの痕跡が極めて少ない時期がありますが、土坑とそこに埋納(まいのう)された小形の土器などが、県内の数か所から確認されています。
 上谷(かみや)遺跡では、直径約1.58×1.26m深さ0.28mのD192中に2個帯(高さ19cm、13cm)の小形の土器が埋納されており、墓と推測されています。
 また、この時期の竪穴住居とされた痕跡も僅かに確認されていますが、極めて不明瞭な形で明確ではありません。

八千代市上谷遺跡D192


八千代市上谷遺跡D192出土の土器

 また、柏市水砂遺跡(みずすないせき)では、直径1.1m、深さ0.5mの032土坑の壁際中段からやはり小形の土器(高さ14.5cm)が出土しています。

柏市水砂遺跡032土坑 (公益財団法人千葉県教育振興財団承諾)

 東金市鉢ヶ谷遺跡(はちがやいせき)の第1号土坑では、残存している部分から、口径約1.4m前後、底径約0.8m、深さ0.55mと推定され、底面のほぼ中央から、中空土偶、小形の土器、舟形土器など計4点の完形品が出土しています。
 大規模なムラがつくられる前夜、居住施設を伴わない開拓者の人々が、何故訪れてきたのか、常に新しい文化・くらしを求めた縄文時代の人々を探る大きなテーマのある小さな足跡です。

東金市鉢ヶ谷遺跡第1号土坑 (東金市教育委員会提供)


東金市鉢ヶ谷遺跡第1号土坑出土遺物 千葉県指定有形文化財(東金市教育委員会提供)