村上の沖塚遺跡では、この時期の製鉄炉が発見されました。製鉄の工程は、①製錬(せいれん)と②精錬(せいれん)に分けられます。①は砂鉄などの原料を高温で加熱し荒鉄を作る段階、②は荒鉄をさらに熱して純度を高める段階です。②でできた純度の高い鉄を熱し、加工し製品を作る段階が③鍛錬(たんれん)です。沖塚遺跡では、②段階と考えられる精錬炉跡が出土しました。日本における①②の出現は5世紀頃と考えられていましたが、沖塚は3世紀後半であるため、その古さが注目されました。
なぜそのように古い精錬炉が沖塚に単独で存在したのか、①段階はどこで行われたのかなど、謎が多いのですが、新川を挟んだ対岸に萱田町の川崎山遺跡があり、古墳出現期の竪穴住居から鉄滓(てっさい)や小さな釘のような鉄製品が出土しています。前述したヲサル山遺跡の鉄釧もこの時期のものです。また白井市の一本桜南(いっぽんざくらみなみ)遺跡では、この時期の壺に純度の高い砂鉄が入っていました。このような事例が増えれば、沖塚遺跡の謎も解明されるかもしれません。
沖塚遺跡の製鉄遺構
なぜそのように古い精錬炉が沖塚に単独で存在したのか、①段階はどこで行われたのかなど、謎が多いのですが、新川を挟んだ対岸に萱田町の川崎山遺跡があり、古墳出現期の竪穴住居から鉄滓(てっさい)や小さな釘のような鉄製品が出土しています。前述したヲサル山遺跡の鉄釧もこの時期のものです。また白井市の一本桜南(いっぽんざくらみなみ)遺跡では、この時期の壺に純度の高い砂鉄が入っていました。このような事例が増えれば、沖塚遺跡の謎も解明されるかもしれません。
沖塚遺跡の製鉄遺構