村神郷の信仰と墨書土器

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 特徴的な遺物として、当時の人々が土器に墨で文字や記号、絵などを書いた墨書(ぼくしょ)土器があります。また、朱墨を使った朱書(しゅしょ)土器や、ヘラで文字などを刻んだ刻書(こくしょ)土器も見られます。市内ではこれらの墨書土器類が3,900点ほど見つかっています。
 市域の墨書土器の中では、特に、祭祀に関わるものに見るべきものがあります。
 ところで、伝統的な祭具としては、手づくね土器という、小型の素朴な土器があります。古墳時代中期、5世紀頃から出土します。この手づくね土器が9世紀に減少するのと入れ替わるように登場するのが祭祀(さいし)関連墨書土器です。

上谷遺跡をはじめ新川流域出土の祭祀関連墨書土器群12個体 八千代市指定有形文化財

 祭祀関連墨書土器は、器に神への捧げものを入れて延命・長寿などを祈る供献用土器と考えられています。主なもの12個体が市指定文化財となっていますので、以下に列挙します。
上谷遺跡の祭祀関連墨書土器
 ①「下総國印播郡村神郷丈部(はせつかべ)■刀自咩召代進上(とじめめししろしんじょう)延暦(えんりゃく)十年十月廿二日」と長文の書かれた土師器の甕です。これは、地名・人名・祭祀用語(召代進上)・年月日に加え人面も描かれている好例です。前述した「村神郷」が書かれています。延暦十年は西暦791年です。「下総國印播郡村神郷に住む丈部■刀自咩が召される代わりに進上します。」という意味です。この甕の底はきれいに取り除かれており、甑(こしき)のように見えます。土器の使われ方など、興味深い資料です。

上谷遺跡①の人面墨書土器の赤外線写真 八千代市指定有形文化財


 

 ②9世紀前半の土師器の坏(つき)に「丈部千総石女(ちふさいわめ)進上」と書かれたものと③「廣友(ひろとも)進召代弘仁(こうにん)十二年十二月」と書かれた人面墨書土器が同じ竪穴住居から出土しました。弘仁十二は西暦821年です。

上谷遺跡「弘仁十二年」墨書土器の人面 八千代市指定有形文化財

 

 ④土師器の坏に「野家立馬子/召代進/承和(じょうわ)二年十八日進」と書かれています。承和二年は西暦835年です。

 

 ⑤~⑧9世紀中頃と見られる土師器の坏4点が、下の写真のように竪穴住居の床面で2枚ずつ重ねられて出土しました。

上谷遺跡⑤~⑧坏4点の出土状況


上谷遺跡⑤~⑧坏4点実測図 八千代市指定有形文化財

 伏せてある方の上の坏には「丈部麻■女身召代二月■/西/西」、下の坏には「丈部真里刀女(まりとめ)身召代二月十五日」と書かれています。正位で置かれている方の上の坏には「丈部阿(公ヵ)身召代二月/西/西」下の坏には「丈部稲依(いなより)身召代二月十五日」と書かれています。薄く殴り書きのような文章に対し、「西」という字が濃く明らかに別の筆跡で書かれています。出土状態やこのような墨書のあり方がたいへん興味深いものです。

 

北海道遺跡の祭祀関連墨書土器
 ⑨8世紀末と考えられる土師器の坏に、「丈部乙刀自女形代(おととじめかたしろ)」と書かれています。

 

 ⑩人面墨書土器です。土師器の坏に「承和五年二月十」と書かれています。承和五年は西暦838年です。

 

 ⑪白幡前遺跡の人面墨書土器です。8世紀末と考えられる小型甕に「丈部人足(ひとたり)召■」という文と人面が描かれています。丈部人足という氏名を明記して神に祈ったものと解釈されます。

白幡前遺跡の人面墨書土器 八千代市指定有形文化財


 

 ⑫権現後遺跡の人面墨書土器です。9世紀前半の内黒の土師器の坏に、「村神郷丈部國依甘魚(くによりあまな)」という文と人面が描かれています。地名と氏名を明記し、「甘魚」(ごちそう)を捧げるという意味です。

権現後遺跡の人面墨書土器 八千代市指定有形文化財


 

 これらの祈りを捧げる対象である神については、印西市鳴神山(なるかみやま)遺跡の墨書にある「国玉神」すなわち「国津神」と考えられます。古墳時代以来の伝統的な地域の神霊です。伝統的な祭りに、氏名明記という新しい要素を加えた祭具が祭祀関連墨書土器と考えられます。