市内の墨書土器に書かれた人名は、ほとんどが「丈部(はせつかべ)」氏で、前項の9人の他に上谷遺跡の「丈部申万(さるま)」「丈部角万呂(つのまろ)」があり、11例になります。丈部氏と言えば、『続日本紀(しょくにほんぎ)』天応(てんおう)元年(781)条に印幡郡の大領(だいりょう)「丈部直牛養(あたいうしかい)」という名が知られています。大領は郡役所の長官であり、在地の有力者です。それと同じ氏族が村神郷に住んでいたのでしょう。丈部氏以外では、上谷遺跡の「物部真依(もののべまおり) 延暦十年十一月七」などがあります。