米本城の北に、城主村上綱清の菩提寺とされる米本山(よなもとさん)長福寺(ちょうふくじ)があります。長福寺は真里谷(まりやつ)(木更津市)の真如寺(しんにょじ)(曹洞宗(そうとうしゅう))の末寺であり、綱清のルーツとされる上総・信濃の村上氏も同様に菩提寺が曹洞宗です。長福寺は、米本城主が平時に居住した館があった場所と考えられます。多数の室町~戦国時代にかけての供養碑である板碑(いたび)が出土し、太田図書(ずしょ)との戦(いくさ)の後に作られた年代の板碑が増えることから、その戦死者を供養した可能性があります。
長福寺の山門を入って左手にある綱清の墓と言われる石塔は五輪塔(ごりんとう)で、高さが145cm、軟砂岩(なんさがん)製です。台座の部分の銘文には、祟岳大晏(しゅうがくだいあん)禅定門(ぜんじょうもん)という戒名(かいみょう)が刻まれ、「慶」の字が見えることから、江戸時代初期の慶長(けいちょう)の頃に、子孫か家臣によって建てられた可能性があります。対(つい)になる五輪塔は奥方の供養塔と言われています。
現在、市の指定文化財となっており、お参りに訪れる方も多く、墓前の花が絶えることはありません。
伝:村上綱清の墓 米本山長福寺 八千代市指定文化財
長福寺の山門を入って左手にある綱清の墓と言われる石塔は五輪塔(ごりんとう)で、高さが145cm、軟砂岩(なんさがん)製です。台座の部分の銘文には、祟岳大晏(しゅうがくだいあん)禅定門(ぜんじょうもん)という戒名(かいみょう)が刻まれ、「慶」の字が見えることから、江戸時代初期の慶長(けいちょう)の頃に、子孫か家臣によって建てられた可能性があります。対(つい)になる五輪塔は奥方の供養塔と言われています。
現在、市の指定文化財となっており、お参りに訪れる方も多く、墓前の花が絶えることはありません。
伝:村上綱清の墓 米本山長福寺 八千代市指定文化財