『上総国古文書(かずさのくにこもんじょ)』から見える綱清

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上総国古文書(部分・着色)(八剱八幡神社蔵)

 綱清に関係する古文書の写しが八剱八幡(やつるぎはちまん)神社(木更津市)に残されています。真里谷(まりやつ)(木更津市)の妙泉寺(みょうせんじ)に宛てて出された文書で、内容は妙泉寺領の大金(おおがね)の内、五分の一を今まで通り支配を認めるとあります。日付は6月12日付となっていますが年号はありません。
 注目すべきは同様の内容の写しが同古文書に収められており、これは永禄(えいろく)9年(1566)に原胤貞(たねさだ)から出されたもので、綱清の文書と一対で出された文書と考えられます。「拙者(せっしゃ)の事跡違乱(じせきいらん)申すべからず候(そうろう)」とあり、何らかの理由で原胤貞から綱清へ寺への支配権が代わったようです。これらのことから小弓城主原胤貞と綱清の関係を推測することができ、綱清の拠点が上総にあったことがわかります。
 また、妙泉寺が米本山長福寺(八千代市)と同じ真如寺(しんにょじ)の末寺だと考えると、米本城と綱清の関係をも連想させる興味深い資料です。