綱清は本当に米本城主か?

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 今まで発見された綱清に関係する古文書(こもんじょ)は、上総国(かずさのくに)や原氏と綱清を結び付ける資料のみでした。しかし江戸時代末期に佐原(香取市)の国学者であった清宮秀堅(せいみやひでかた)が、下総国内の地誌等を調査してまとめた『下総旧事(しもうさきゅうじ)』の原本を調査したところ、ここに記録されていた「永禄(えいろく)三年十月十四日付北条家朱印状写(ほうじょうけしゅいんじょううつし)」の添え書きに「米本(よなもと)村加茂(かも)文左衛門(ぶんざえもん)所蔵文書(もんじょ)」とあり、この古文書の原本が、江戸末期には米本の加茂文左衛門家にあったとされています。今までこの史料の存在は確認されていましたが、添え書きは認識されていませんでした。
 つまり永禄3年(1560)に、北条家より現在の市原市内の北条家の所領を綱清に与えた文書が、綱清の家老と伝えられる米本村の加茂家に存在した可能性があるのです。
 現在まで、この原本は発見されていませんが、初めて米本城と綱清とを結びつける接点となる史料を見出したことになり、今後の村上綱清の研究において大きな意味をなすものです。

清宮秀堅 (清宮家蔵)


下総旧事 (添書部分) (清宮家蔵)