八千代市を南北に流れる新川の右岸、米本の標高26mの舌状(ぜつじょう)台地上にあります。南西の根古屋(ねごや)集落の先には萱田(かやだ)に向かう橋があり、城橋(じょうばし)と呼ばれます。臼井城(うすいじょう)(佐倉市)の城主(じょうしゅ)となった臼井氏や原氏(はらし)の拠点を守る西の支城(しじょう)であったと考えられます。室町時代に城の原型が形作られ、太田道灌の弟、資忠(すけただ)の臼井攻めや、安房里見氏(あわさとみし)の侵攻、上杉謙信(うえすぎけんしん)の臼井攻めなど多くの戦(いくさ)を経て、現在の南北約300mの城郭になったと考えられます。戦時には主郭(しゅかく)(Ⅰ郭)に城主が入り、Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ郭に兵が詰めて敵の侵入を迎え撃ちました。郭の回りは谷状になった堀(ほり)と、土を土手状(どてじょう)に盛り上げた土塁(どるい)と板塀(いたべい)に囲まれ、敵が容易に進めない構造になっています。また主郭周辺は水堀(みずほり)があったとされ、南側からの攻撃は特に難しい構造です。