大正5年(1916)、印旛郡長の山中竹樹が郡内各町村長らに呼びかけ、水害予防組合が結成されることになりました。背景には進展する利根川改修工事に合わせ、印旛沼の排水事業などが具体化することへの協力があったのです。
大正11年(1922)には、利根川の印旛沼への入口にあたる印旛水門が完成しました。水門の開閉により、利根川増水時の印旛沼への逆流を防ぐことができるようになり、印旛沼治水上、画期的な事業となりました。
大正11年(1922)には、利根川の印旛沼への入口にあたる印旛水門が完成しました。水門の開閉により、利根川増水時の印旛沼への逆流を防ぐことができるようになり、印旛沼治水上、画期的な事業となりました。